今日は、あがり症(対人恐怖症、社交不安障害)の方の性格特徴を解説していきます。

精神科に行けば、ICD10とかDSM-5などの診断基準で社交不安症などと診察されますが、私がマンツーマンプログラムなどであがり症の方にやってもらうものは、海外で使われているLSAS-Jを元にしたものと森田神経質尺度を組み合わせてやっています。

それで今日、ご紹介するものは、森田療法学会に所属する第一線の精神科医の先生方によって作られたものをご紹介します。

そもそも森田神経質とは、あがり症を含む対人恐怖症や、強迫性障害、パニック障害(広場恐怖)等の森田療法の対象となるタイプの方を言います。それらの方の性格特徴は、以下のようなものがあります。

(A)内向性、弱力性

①内向性・・・自分の存在全体について過度に内省し、劣等感を持つ
②心配性・・・細部にこだわり、なかなかそこから抜け出せない
③対人的傷つきやすさ、過敏症・・・人の些細な言動で傷つく、人の言動が気になる
④心気性・・・自分の健康状態を心配し、自分の身体や感覚に対して過敏となりやすい傾向
⑤受動的・・・イニシアティブを取れない、消極的、新しいことが苦手

(B)強迫性、強力性

①完全欲・・・強迫的に完全にしないと気が済まない
②優越欲求・・・負けず嫌い
③自尊欲求・・・プライドが高い、自尊心が強い、人にちやほやされたい
④健康欲求・・・常に心身とも健康でありたい、全く不安のない状態を望む
⑤支配欲求・・・自分や周囲を自分の思い通りにしたいと言う欲求が強い

(「実践森田療法」北西憲二著より抜粋)

 

いかがでしょう?あがり症の方には思い当たる節があるのではないでしょうか?というか、ほとんどあてはまったりして。

全部当てはまるからあがり症などの森田神経質というわけではありません。
あてはまるものが多いのと、その程度が強ければ森田神経質的傾向を持つと言えるでしょう。

ちなみにAの内向性、弱力性というのは何も森田神経質の方に限らず、メンタル面で脆弱性を持つ方々にも当てはまることが多いと思います。

つまり、内向性、弱力生を満たすだけではあがり症などの森田神経質にはなりません。

仮にAの部分だけ該当する人が緊張する場面で失敗してもそれほど悩むことはないでしょう。

単なる内向的な人ならば、あがったり緊張したりすることを自分は内向的なのだから仕方がないと受け入れることでしょう。緊張しちゃった、恥ずかしい、などとしてモジモジ顔を赤らめる。以上。

ここには、人前で話す本番場面前の過度の予期不安がありません。
終わった後の事後失望もそこまで大きくはないでしょう。
だって自分はそんなもんと受け入れているのですから。

一方、緊張することやあがることをあってはならないこととして悩む人は、Bの強迫性、強力性の部分が大きく影響しています。

まさに、完璧主義で負けず嫌い、しかも自尊心が強いといった強さや激しさが、内向的で弱々しい面の裏に隠れているゆえにこそ自らを苦しめるのです。

人前で話す本番場面の前は極度の予期不安に襲われ、心身ともに決して安らぐことなく。終わった後は後で、あぁだったこうだったと自分のダメな所を徹底してセルフフィードバックして痛めつける。

つまり、あがり症の方は内向的な部分を持っていると同時に、反面、それをどうしても受け入れられずそういった自分を否定します。

いわば自己否定、自己不一致の病といったところでしょうか。

では、このBの完全欲求、優越欲求、自尊欲求、健康欲求、支配欲求を変える必要があるのでしょうか?

認知行動療法という主に精神科医などの精神医療分野で使われている療法では、この「あがり症はあってはならない」、「人前であがってはならない」といった偏った思考~いわゆる「べき思考」を健全な思考へと緩めていきます。

これももちろん一つのアプローチでしょう。

しかし、森田療法ではこれらの強き欲求は変える必要がないと考えます。
これらは本来より良く生きるための原動力となるものであり正に強みなのです。

しかし、しかしです。
あがり症の方はそのより良く生きるための原動力となる強きエネルギーをよりによっての方向に使います。

症状へと。これさえなければと。

あがり症の方が症状に対して注ぐエネルギ―は並大抵のものではありません。自分の精神を含めた全エネルギーの全てをそこに注ぎ込むかのように一点集中します。

私はいつも虫眼鏡を想像してしまいます。

あまりに熱意が逆に症状を燃やしているような。

だから、性格特性としての強迫性、強力性をどうしていけば良いかということになります。

一番の大きなポイントは強さを緩めること。
「かくあるべき」から「まぁ仕方ないよね」へのシフトチェンジ。

そしてもう一つ、そこに注いでいたエネルギーのベクトルの向きを変えること。

不安と欲望はコインの裏表です。

そもそも不安は不安一つでは成り立ちません。
より良くなりたいという欲望があるからこその不安なのです。
欲望と不安は一対なのです。

なのに、あがり症の方の原動力のほぼ全ては不安からのもの。
不安をなんとかしよう、不安を抑えよう、不安を減らそう。

そこに答えはありません。

そうではなく、欲望を原動力にする。

こうなりたい、これが必要、これしたい。
そういった欲望から行動していく。症状はあってもなくてももうどうしようもないからほっといて。

そうして、負のスパイラルで生き続けたあがり症の方が、ひとたび克服のレールに乗るや、めざましいまでの活躍・成長を遂げることがしばしばあります。

エネルギー強き人のエネルギーの使い方の過ちだったのです。