先読み思考と深読み思考という妄想の世界

私たちは精神的に調子が悪い時には、特にメンタルヘルスの疾患にかかってしまったような時には、どうしても偏った思考になりがちです。

そういったものを認知の歪みと言いますが、その中に先読み思考深読み思考というものがあります。

あがり症の方は、この先読み思考と深読み思考の傾向が通常より高いのですが、まず先読み思考とは、将来についての見通しを意味します。

何か自分の怖れている未来を考えた時に、こうなるんじゃないか、ああなるんじゃないかなどと良からぬ未来を想像してしまうのです。

会議に出席したとします。
それぞれがコメントを求められ、自分にも順番が回ってくるのが想定されます。

そうすると先読み思考がやってくるんですね。

あぁ、みんなに見られる。
緊張して声が震えてしまったらどうしよう。
あいつへんな奴と思われるんじゃないか。
自分のコメントを聞いて大したことないなと思われるんじゃないか。
評価が下がってしまうんじゃないか。

等々、どんどん妄想が膨らんでいきます。
これは現実の世界のものではありません。

では深読み思考についてはどうか。

会議に出席してコメントを求められ実際に発言したとします。
発言しながらみんなの様子や目線が気になります。

あの人が怪訝そうに私のことを見ている。
私があがっているのがばれてしまったんじゃないか。

緊張して声が詰まってしまった。
噛んでしまった。
やばい、あの人がこっちを見た。
私の様子がおかしいのに気づいてしまったか?

あぁ、あの人がため息をついている。
私の話がつまらないんじゃないか。

緊張して話が分かりづらくなってしまったんで、聞いているのもつらくなってしまったんじゃないか。

あぁ、私の評価が下がっていく・・・

そうして妄想がどんどん膨らんでいきます。
これもまた現実の世界のものではありません。

このように先読み思考と深読み思考は、確かに当たっていることもあるかもしれませんが、一方、そうではないかもしれません。

いずれにせよ当たっているかどうかは実際の所、分からないのです。

まだ来ぬ未来について負の妄想を拡げていく。
今ある現実について負の妄想を深めていく。

二つの自己不一致

そしてその妄想を元に、何とかしなきゃと考えます。

冷静でいなきゃ、堂々としていなければ、緊張して震えてしまってはならないといったような必死の思いで。

いわば、「~ねばならない」と。

そして、内面はさておき外見だけでも何とか必死に取り繕います。

そして、その外見だけでも取り繕う習慣が、日常生活の人との交わりにおいても出るようになります。窮屈なまでに。

ここでは、こう返さなきゃ。
ここは何か言わないと。
ここはビビってないふりをしよう。

人の思惑を気にし、それに沿うように発言する。
それは、さながら自分ではない誰かを演じるようなものです。
能面をかぶって舞台に上がっているようなものです。

言いたいこと言ってギャハハと笑っているおばちゃんとは正反対の位置にいます。

お喋りで、好きだ嫌いだ、上司がむかつく、きゃーショック、緊張する~、やったー、等々の感情や思いを素直に吐露する人々を見て羨ましく感じることもあるでしょう。

そこには自己一致があります。

あがり症の方は二つの点で自己不一致しています。
一つは自分を生きていないという意味で。

かくあるべき自分を演じることで、本当の自分が心の中に取り残され、未消化のままに一人耐え続けます。

だから、あがり症の方々に必要なことは、まずは自分の感情と外見の自分を一致させること。

不安なら不安と言う。
嬉しいなら嬉しいと喜ぶ。
あまり喋りたくない時は喋らない自分でもいい。
苦しい時は苦しいと言う。
緊張している時は緊張していると言う。
怖いのは怖い。

感情と行動が一致すること。
それを「あるがまま」と言います。

自分を守る能面を外し、自分をさらけ出す。
その「あるがまま」の姿勢が逆説的に自分を守ることにつながるのです。

言えない時ももちろんあるでしょう。
その時はせめてそこに自分の感情があることを認めてあげるといいでしょう。

緊張してるよね。
そりゃそうだよね。
恥ずかしいよなぁ、情けないよなぁ、しんどいなと。

そしてあがり症の方が自己一致していない二つ目は、過去の後悔と未来への不安に囚われて今を生きていない点においてです。

その能力や思いやエネルギ―など自分の全てを、あぁ思われたのではないかこう思われたのではないか、また失敗したらどうしよう、軽蔑されるのではないかといった妄想に注いでしまっていて、今ここの現実世界に投射していないのです。

今とは何か?
今とは自分の行動、自分の発言、現実の世界の中身です。
事実そのものです。

会議で発言した発言そのものは、相手がどう思おうがどう思われようが引き算も掛け算もできません。

事実はそれ以上でもそれ以下でもありません。

あがり症者は、妄想を元に良い悪いと価値付けする幻想の世界から、現実の世界に立ち返る必要があります。

例えあがってしまってもどんな内容の発言をしたか、例え声が震えてしまっても伝えたいことが伝わったかどうか。

今なすべきことを出来たかどうか。
できなかったとしたら自分は何をなすべきなのか。

つまり妄想の世界に生きるのではなく、事実本位の視点で生きていく必要があるのです。

例え緊張してしまっても事実本位の視点でものを関わることができるようになった時、そしてそういった機会が増えていった時、あがり症が治るのではなく、極度にあがるのでもなく、適度にあがることができるようになっていくでしょう。

(参考記事)
あがり症が改善するかしないかの境目はここにある

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