不安を消そうとして不安に火を注ぐ

初めはほんの少しのことだったのかもしれません。

ほんの少し湧きあがる不安。
ほうっておけばやがて流れていくものを。

しかし、気になります。
どうしても気になります。

そのほんの少しの不安を抑えようとします。
時に気持ちを逸らして、時に気持ちを強く持って、時に物に頼って。

しかし、悲しいかな、そこにエネルギーを注げば注ぐほど、却って不安は高まります。
まるで火に油を注ぐかのように。

慌てて消化します。
しかし、油に水を注いだかのように益々燃え盛ります。

その時、最早あがりの症状は手に負えなくなってしまうのです。

あがりの症状に注目する限り、その火は永遠に燃え続けることでしょう。

 

リカバリーとは病気の回復ではなく人生の回復

リカバリーとは何か?

様々な定義があります。

・「単に疾病からの回復ではなく、人生の回復を考えるもの」

・「病気や健康状態の如何にかかわらず、希望を抱き、自分の能力を発揮して自ら選択ができるという主観的な構えや指向性」

・「精神障害を持つ方々がそれぞれの自己実現やその求める生き方を主体的に追求するプロセスのこと」

・「障害があったとしても、自分らしい生き方を追求し、自分のことは自分で選択して、自分の人生に責任を持つあり方を目指す」

 

心の病にかかると人はその症状から逃れようともがき、苦しみます。
しかし、単に症状さえ取れればいいのなら薬でも一定程度は治るでしょう。

 

しかし、果たしてそれでいいのでしょうか?

 

生き方やあり方に改善のない回復は対症療法に過ぎません。
また何らかの悩みや苦しみが生じることは目に見えています。

 

生き方やあり方を改善する、すなわち人生の回復を通してこそ人は根本的な回復をしうるのです。

仮に疾病が完全には治らなかったとしても人生を回復することで人はより良く生きられるのです。

 

人は人生の主体者です。
自分がどう生きるか、どうありたいかは自分で決められます。

症状に怯え、変化を怖れ、チャレンジしない居心地の良さを選択することもできます。
一方、障害があっても、不安と恐怖があっても、それでもなお挑戦することもできます。

人間です。
疾病を理由に楽な選択したくなるのは当然ともいえます。
障害を前に困難を避けたくなるのは当然ともいえます。

 

しかし、どうか思い返していただきたいのです。
あなたは本当はどうなりたいのですか?
この病がなかったら何をしますか?
あなたは一体、何を大切にし、何に向かって生きようとしていたのですか?

たとえ疾病があっても、自分らしい生き方を追究し、自分のことは自分で選択して、自分の人生に責任を持つあり方を目指せるのです。

人は人生の主体者なのです。