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あがり症などの神経症が求める優越性の追及とは

「思えば、神経症者とは、今を生きることを放棄して、過去の改悛と未来への不安におののき、それにとらわれてしまった人たちではないのか。症者の多くは、もう終わってしまった過去に対して、あのとき自分は赤面したから友人から変に思われたのではないか、友人が顔をそむけたのは自分の視線がおかしかったからではなかったか、電車に乗っていたときに生じた激しい心拍は身体の何かひどい異常のあらわれではなかったか、と過去に強迫的にとらわれて、後ろ向きの時間の中で葛藤を繰り返し、今を積極的に生きることがどうしてもできない。」 

「神経症の時代~わが内なる森田正馬」(文春学藝ライブラリー)渡辺利夫著より

 

ここには、完全に私がこのブログで述べてきたことが書かれています。
驚くべき程に私が言いたいことと一致しています。

これが神経症者です。

これが、あがり症(対人恐怖症、社交不安症)であり、強迫性障害であり、パニック障害の方々なのです。

一体何のためにこんな生き方を続けるのでしょうか?

その姿は、あたかも人生の脇道で一生懸命になっているようです。
彼ら彼女らは本当の人生を生きていないのです。

困難を前にためらい、正面から挑むことを回避したとしても、それでもなお、いかなる人間も何らかの方向性に向かって生きていかなければなりません。

劣等感を持ちながらもその状態のままで居続けられる人間はいません。

何もしないホームレスですら目標に向かっているのです。
彼らは、もうこれ以上、俗世間で傷付かないための安全を求めているのかもしれない。

また、清潔恐怖に囚われて、手洗いに命懸けで取り組む強迫性障害の子は、家族を振り回します。

彼女は自分の周り全てを思い通りに支配したかったのかもしれない。

けれどもそれが完全には叶わぬから、今自分ができる手洗いと家族に対しては支配を維持しようとしている。

あるいは、世界で最も不幸になることで悲劇のヒロインとして他者に優越することを目指すのか。

あらゆる人間は優越性の追求を求めるのです。
それが良かれ悪しかれ。

自然界もそうです。

木があります。
そのままにしておけば、その本来のあるべき姿をただ一身に目指します。

枝はかくある方に伸び、根はその求める方向に伸びていく。岩や地面に障害があれば、柔軟に形態を変えていく。

斜めの土手に咲く桜は、その根もその幹も本来あらぬ方に伸び、支えます。

街にある街頭樹は、毎年枝を切られ、太い枝の切り口からまた小さな枝が天に向かって伸びていきます。

木は常に完成しません。
永遠の不完全です。

ただ、そのあるべき完全に向けて一心に向かっていきます。

これは何も木に限りません。
生きとし生けるもの全てがそうです。

あがり症者はどうでしょうか?

自分の不完全に身を悶えます。
自分の不完全さをあってはならないことと否定します。
そしてその不完全さを何とかしようとこだわり続けます。

そのあり方はさながら、この世界を司る神に逆らうかのようです。
本来あるべき姿はそうではないです。

では、あがり症者は一体何に向かって生きているのでしょうか?

あがり症の方は他者と自分を比べ続けます。
他者がみんな自分より優れて見えます。
他者がみんな自分より幸せに見えます。

そして言います。

「自分だけが」と。

しかし、時に、ここにはある種の優越感を生じさせることがあります。
そう、悲劇のヒロインです。

世界でもっとも不幸な私として他者に優越感を感じる。
私ほど不幸な人はいないと。

これは危険です。
優越感がそこに留まる動機づけになってしまうからです。

私たち人間は、いかなる人も、いかなる状況でも前に進むようにできています。

にもかかわらず、歪んだ形での優越性の追及により、あがり症者は「自分だけが」と嘆き続ける人生に留まり続ける。あまりに危険です。

本来、あがり症の方は安心や所属、優越といったような、それぞれの優越性の追求を求めているはずです。

彼ら彼女らはより良くありたいんです。

より安心していたい。
この集団の中に所属していたい。
人より優れていたい。

しかし、その自分の位置が崩れる可能性があるから、すなわち自分の価値が下がる可能性があるから、人前に臨む際はあがり症を使って不安と恐怖を作り出し、前に進むのを止めさせようとするのです。

不完全なままに、他者との関わり方を変える

そう考えるならば、あがり症の克服にあがらないようにというテクニックで乗り越えようとする発想は全く無益のものとなります。

いかなる状況でも完全に価値が下がらないという保証はできないのですから。

むしろ価値が下がる可能性に対してどうあるべきかということになります。

勇気づけの心理学アドラー心理学の祖、アルフレッド・アドラーは言いました。

「私は自分に価値があると思う時にだけ、勇気を持てる」

あがり症の方は、歪んだこの世界での価値の捉え方を変えていく必要があります。

「どうして私だけが~」
「私は失敗してはならない」
「他者は私を否定する」

の世界から

「私だけではなかった」
「失敗してもしょうがない」
「他者は寛容だ」へと。

そして、価値を持つためには、他者を決して敵とみなさず、他者を仲間に感じて自分がここにいていいと思えること。

そして、自分が誰かの何かの役に立てている感覚を持つことが必要です。

シンプルに言えば所属と貢献です。

その二つを高めていくことが出来れば、あがり症の症状に一切触れずして、あがり症を軽減していくことができるでしょう。

だから日々取り組むこともまたシンプルです。

仲間探しと感謝探し。
あがり探しではなく。

そして、貢献。
誰かがしてくれるのを願うのではなく、自分に何ができるかを問うこと。

今目の前にいる相手に何ができるか、そして今いる場所で自分に何ができるか。

そうしたあり方で、不完全なままに、ただただ自分のありうべき完全に向けて努力向上していけば良いのです。

そうして、人前で失敗しても自分の価値はなんら変わらないと確信した時、あがり症を治さずしてあがり症が治るのです。

その時、あがりは単なるあがりとなるでしょう。

(参考記事)
「ゆるし」から「あるがまま」へ~森田療法におけるあがり症克服のヒント