感情のコントロールを手放した時、感情は収まる

今日は森田療法から見た「負の感情」に対するアプローチを考えていきます。

私はある場所に行くとリラックスできます。
それは安心できる仲間がいる場所かもしれません。

またある場所に行くと身が引き締まります。
失敗しないようにミスがないようにと気を張ります。
それは職場かもしれません。

またある場所に行くとすごい生き生きします。ワクワクします。
それは自分の好きなことをやってる時かもしれません。
楽しい仲間がいる時かもしれません。

ところがある場所に行くとすごいビビってしまうことがあります。
やたら緊張します。
自分のことをちっちぇーと思います。

またあるところに行くとイライラしたりしてしまう。

人というのは結局対人関係の悩みなんですね。

以前の私は負の感情、例えば今言った臆病になる、あるいはビビる、あるいは緊張する、不安になる、それだけならいいんですけど、その感情が生じたときに更にそういった自分を否定していました。

かつてほどではないですが、今もまだあります。

自分はダメだな、情けないな、弱いなあ、恥ずかしいなあ、そんな風にただでさえネガティブな感情を感じているのにそれに輪を掛けて自分を責めるんですね。

これが辛いんです。

ビビりはビビり、不安は不安、怖いは怖い、そのまんまに感じられた時というのは感情が流れていくものです。

本来、感情に善悪はないのです。

もう一回言います。

本来、感情そのものに善悪はありません。

たとえそれが、怒りであれ、嫉妬であれ、恨みであれ。

だから、感情に良いとか悪いとか価値づけをするのではなくて、感情そのものをそのままに感じ切ることができれば、感情はやがて薄らいでいきます。

なのに、上がり症などの神経症(パニック障害、強迫性障害、不安障害等)の方は、感情に振り回され、感情を元に判断し、行動していくようになります。

森田療法の祖、森田正馬は言います。

「感情と智識の関係について、例えば毛虫を見てわれわれがそれを不快に感じ、嫌悪し恐れるのは感情の事実である。けれども、それが毒を吐くものでなく、人に飛びつくものでもないということは、われわれが智識によって知ることである。毛虫を見て、たちまち目を閉じ逃げ出すのは、感情に支配されるものである。必要に応じてこれに近寄り、駆除することができるのは、理智の力である。すなわち、不快なままに毛虫に近づくことができるのは感情と智識の両立であって、あるがままの当然の行動であり、正しい精神的態度である。これに反し、もし毛虫に対しまず嫌悪の感情を排除し、好感を起こしてその上で毛虫に近づこうと努力するものがいたら、それが思想の矛盾であり、悪智であって、強迫観念の成立に最も大切な条件となるのである」

人前で話すと緊張します。
あがり症の方はもうそれで頭が一杯になります。

それで、あまりの苦しみになんとかしようとするわけです。
しかし、はたしてその行動は有益な結果をもたらしているのでしょうか?

毛虫に不快な感情を持つことと同じように、あがることへの嫌な感情を持つのはいたって自然なことです。

しかし、毛虫を好きになってから毛虫に近づこうとするのと同じように、緊張と不安がなくなってから話をしようとするのは、はたしてどうなのでしょうか?

あなたは不可能を可能にしようとしてはいませんか?

かつて私が支援していた方で若年性パーキンソン病の方がいました。
一般的にパーキンソン病は高齢者の方がなるのものですが、その方は青春真っ盛りの時に発症しました。

パーキンソン病の症状は、手足の震えや、体の動きがサビついたように固くなりこわばるといったものがあります。

その方は、パーキンソン病の症状と感情の揺れに振り回された日々を送っているようでした。

私は聞きました。
症状があまり出ていない時、状態が良い時はどんな時ですか?と。

その方は答えました。

晴れの日。
寝不足の時はダメ。
精神的に落ち込んだ時もダメ。
不安や緊張も良くない。
疲れている時もダメ。
楽しい時は大丈夫。
旅行に行った時もそう。

もう完全に典型的です。
心と体の状態が完全に連動し、比例しているんですね。

私はその方に言いました。
コントロールできることと出来ないことをきちんと分けましょう、と。

まず、天候はコントロールできない。
落ち込むことも生きていけば必ずある、けれどもそこからどうなるかは自分で何かをできる余地はある。
睡眠不足はコントロールできる。
楽しいこともそう。

そして私は冗談で提案しました。
じゃあ、これから毎日旅に出ましょうか?
楽器と歌が好きなら、それで食っていきますか?

冗談と言いつつ結構大事なんですね。
気分や状態が良くなくても行動をすることで気分や状態が変わり得るのです。

極端な話かもしれませんが、私は高校時代に風邪をひいた時、どうしても大好きな体育の授業だけは出たくて、それだけ受けに学校に行ったことがあります。

すると信じられない話ではありますが、家にいた時に38度あった熱が運動しているうちに下がってしまったのです。

あがり症(社交不安障害、対人恐怖症)の方は、この辺の所をヒントにした行動がキーとなります。

一言で言うとあがり症の方は気分本位です。
気分、すなわち感情を元に判断して行動をする。

熱が下がらない限りは行動しない。
自分の気分や状態が良くならない限りは行動しようとしないのです。

それはさながら、飛び込み台の前で、不安がなくなってから飛び込もうとするようなものです。けれど、そんなことが可能なのでしょうか?

人と話す時の不安がなくならない限りは同窓会に出ない。
会話が上手くならない限りは女の子に話しかけない。
あがり症が治らない限りは、人前で話さない。

そうやって生きる世界をどんどん狭くしていくのです。

本来、人は気分の良い時もあれば悪い時もあります。
そのなかで今なすべき事をしていくのが人の世です。

しかし、あがり症の人は気分が100%でなければ行動はしない、あがり症がなくならなければ嫌なことから逃げる。

あがり症者に必要なこと、それは気分本位から行動本位へと変えていくこと。

不安はありながらも同窓会に出てみる。
緊張しながらでも会話してみる。
あがりながらも自分の意見を言ってみる。

そうした行動本位の行動パターンが増えていった時、気分もそれに伴い変化している。そんな瞬間にきっと気付くでしょう。

そして、恐怖や不安がありながらも行動できた、うまくいった、そういった体験による自尊感情の回復こそが、傷ついたあがり症者にとって実は何よりも必要なことではないでしょうか?

【参考動画】