以前に、ある方からご質問を受けました。
新人アナウンサーが話しているのを見ると緊張してしまう。
緊張という言葉に敏感で避けてしまう。
これはどうしてか?と。
私は推測ですがと前置きしたうえで意見を述べました。
まず、一つには追体験というものがあるのではないかと。
新人アナウンサーに自分自身を投影して、あたかも自分が体験しているような感覚になるのではないかと。
私もこれだけあがり症の文章を書いて、様々なあがり症の方々と接して、日々あがり症のことばかり考えていると、普段の生活で、あ、この人あがり症だなとすぐにピンとくることが多くなりました。
そして、あがり症に関係した場以外の普段の日常生活で、あがり症と思われる方が声を震わせて話したりしているのを見ると、その思いが分かるだけに本当に気の毒に感じます。
以前は、見ているともうほんとに痛くてしょうがありませんでした。
息が苦しくなる。
動悸がする。
なんとかしてあげたいがなんともならない。
頑張れーと思念を送る。
祈る。
もう追体験だかなんだか、とにかく疑似体験と祈りが入り混じったような複雑な感情を感じてしまったものです。
こういった状態になってしまったら専門家としては失格です。
人の良い他人なり友人ならいいでしょう。
しかし、カウンセラーなどの専門家であるならば、悩みを打ち明けるクライエントに共感しながらも一定の距離感をもって接することができないと、巻き込まれたり、他者の課題を自分の課題にしてしまう善人もどきでハマってしまうからです。
また、そういった状態の人を見て心が揺さぶられたりするのは、まだ自分があがり症に対して距離感を持てていないことを意味するでしょう。
私が以前に悩んでいたピークの時は、「緊張」という言葉を発したことはありませんでした。
あまりにも恐ろしかったからです。
ついでに言うなら、緊張という言葉を新聞などで見ることですら身震いしました。目を背けました。避けました。
これらは要は、あがり症のことを受け入れていないことを意味します。
だから、自分があがることを、あってはならないこととして否定してしまいます。あがってしまう自分が受け入れられないのです。
なので、「緊張」、「あがる」といった言葉を忌み嫌うのです。
さながら、緊張する言葉に抗体反応を示しているかのようです。
これを、「あがる言葉免疫過剰症候群」とでも命名しましょうか。
心理的に非常に不安定な時、問題はその人自身にピッタリ貼りついて、「問題=その人」になってしまいます。
例えば、私はうつだ、うつな私、といったように。
そもそも生まれた時からうつな人はいないわけで、人生の途中にまるで風邪のようにかかってしまうのがうつという病なのです。
それがあたかも「その人=うつ」になってしまうのです。
また、本来は健全な思考の人でも、うつにかかればマイナス思考になります。
そして自分(あいつ)はマイナス思考の人間だ、と自他共に認識するようになります。
つまり、その人の性格そのものがマイナス思考なのだと認識されるようになってしまい、それが厄介なのです。
ちょっと何を言いたいのか分かりづらいと思います。
もう少し分かりやすい例を出します。
不登校の子がいたとします。
不登校の原因というのはいろいろあるでしょう。
ところが周りや不登校の子自身が考えるのは、やれ性格が弱いであるとか、何を怠けてとか、その子自身が悪いとされることが多いのです。
これが大変都合が悪い。
悪者探し、犯人探しは何の益にもならずむしろ本人や周りの誰かを傷つけることが多いからです。
そこで一つ挙げられる技法としてナラティブセラピーにおける、問題の外在化の技法があります。
その中でも問題にニックネームを付ける技法を今回は挙げてみましょう。
先ほどの例だと、うつという問題に対し、例えば「じめ夫」とか「どんよりん」が取り憑いたなどとします。
不登校の例だと「怠け虫」のウィルスにかかったなどとします。
その上でカウンセラーと共に、
「じめ夫(怠け虫)」はどんな時やってくるのか?
「じめ夫(怠け虫)」の好物は?
「じめ夫(怠け虫)」が嫌いなものは?
「じめ夫(怠け虫)」が恐れていることは?
などと生態調査をしていきます。
生態調査の後は作戦会議です。
「じめ夫(怠け虫)」をどうやって弱らせるか、退治するのか、対応策を共同で探っていきます。
この生態調査と作戦会議の過程が非常に大事になります。
なぜなら、問題にニックネームを付けて外在化することにより、本人が悪いのではなく、「じめ夫」や「怠け虫が」悪いとすることで本人の気持ちの負担が軽減されます。
そして、それこそ本来空気が重くなるような話題にニックネームを付けてあれやこれやと生態調査をして、さらにはどうやっつけるかと作戦会議をしていく中で、なんだか楽しい雰囲気になり空気が軽くなっていくのです。
なんせ本人=問題の時では遠慮していたものが、本人≠問題となることで遠慮なく問題のせいにして様々な話ができるんですね。
ちょっとふざけてますが、自分の症状を自虐的にふざけて扱えるようになると楽になります。
自分から悩みを切り離して客観的に見られるようになるのです。
そうして本人とカウンセラーが共有した対応策を、あとは実行に移していくことになります。
では、あがり症だとどうなるかですが、ニックネームを付けるのなら、まぁ「あがりん」とか「ドキンちゃん」といったところでしょうか。
では、「あがりん」は、どんな時やってくるんですか?
どんな風にあなたにささやきかけるのですか?
どんなふうにあなたを困らせるのですか?
どんな時「あがりん」は喜ぶんですか?
「あがりん」が苦手なものは何ですか?
「あがりん」が来ない時はどんな時ですか?
「あがりん」が震えあがるのはどんな時ですか?
生態調査が終わったら、では「あがりん」を弱らせるためにあなたはどんなことができますか?
そうしていろんな案を出していき出来そうなことをやっていくのです。
これは誰かと共同で考えていくプロセスこそが治療的であり、望ましいことではないかと思います。
だいたい、あがり症の方の悩みは深刻になり過ぎて、なり過ぎるがゆえにこそ実際に深刻な結果になります。
そして、この不安を、この緊張を、この震えをどうにかしてくださいと言います。
私の緊張は尋常じゃないんです、度を越えていますと。
そしてこれまで何をしても上手くいかなかったと切々に訴えます。
そういう意味では、あがり症者とは、この世で最もあがりの症状のコントロールが下手な人間と言えるでしょう。
なのに、それでもあがりを、緊張を、感情を、何とかコントロールしようとします。
それはまるで、プロ野球の最弱のチームを草野球のヘボ監督に任せ続けるようなものです。
ちなみに選手は、三流チームのクセっけのある面々。
チーム名と選手構成は以下。
ピッチャー・・・・・・・・・・・・「あがりん」
キャッチャー・・・・・・・・・・「セキメン」
ファースト・・・・・・・・・・・・「ふるえ太」
セカンド・・・・・・・・・・・・・・「ドキン子」
サード・・・・・・・・・・・・・・・・「マッシロー」
ショート・・・・・・・・・・・・・・・「コミュショー」
センター・・・・・・・・・・・・・・「シャイの助」
レフト・・・・・・・・・・・・・・・・「どもりん」
ライト・・・・・・・・・・・・・・・・「アセッカキー」
この面々を元にどう試合に臨めばいいのか?
答えは本当に簡単です。
監督が退任すればいいんです。
ヘボ監督に任せるより、ホッといた方が良い結果を生むんです。
すなわち、「メンバーに任せる」こと。
元々、人間の心身はホメオスタシスと言って、自然に任せれば勝手に調和されていくものなんです。
緊張もしかり、ヘボ監督より緊張君に任せて好きなようにプレーさせれば自然に和らいでいく。
ヘボ監督が介入すればするほどハマる。
一度でいい、本当に監督を辞めてメンバーに完全に任せることができたとき、必ずや試合に変化が現れるに違いありません。
ヘボ監督はさっさと退任することをお勧めします。
え?誰がヘボ監督かって?
そんなこと言わせないで下さいよ。
あ・な・た
(参考記事)
人前であがった時の緊張と不安のコントロール法「あがりに身を任せる」