生き方のクセ

あがり症(社交不安障害、対人恐怖症)の方は、その症状さえなくなれば全ての問題は解決するはずと思いこみます。
しかし、決してそうではありません。
なぜなら、その理屈からすれば、あがり症の方は服薬さえすれば全員治るということになるからです。

しかし、現実として決してそうではないでしょう。

精神科や心療内科に行っても治らない方が一体どれだけいることか。
何も精神科や心療内科を否定しているわけではありません。

服薬により症状が軽減され、生きやすくなっている人は多くいます。
しかし、根本的治癒となるとなかなかそうもいかないでしょう。

そして、ここからが本題ですが、仮に服薬により症状がなくなりあがり症が治ったとします。
それでその後はうまくいくのか?

答えは否でしょう。
なぜならば、あがり症の方は生き方のクセを持っています。
それは執着性やこだわりと呼ばれるようなもの。

あがり症が治っても、その生き方のクセは違う方向へ向かいます。

たとえば、体の状態にセンサーを当てて敏感に察知するパニック障害や身体表現性障害。
あるいは、気になって気になって仕方がないという強迫性障害。
あるいは、人との関わりで、苦手な人や、ダメな自分、被害妄想的感覚、といったマイナス面のあら探し。

そういった方向にエネルギーが向かい、結果、メンタルヘルスに課題を抱えてしまうことでしょう。

つまり、、逆に言うならば、あがり症の人は日常生活の中でもその生き方のクセを持つが故に生きにくさを抱えているのです。

さらに言うならば、あがり症の症状にアプローチをしなくても生き方のクセを改善していけば、副次的にあがり症の症状の改善につながります。

当然です。
あがり症の要因となる執着性とこだわりに向けられていたエネルギーがより良い方向に向けられれば、あがり症を構成する悪循環が弱まっていくのです。

まずは日常生活の中で、自分の思考や行動のクセがないか見つめてみてはいかがでしょうか?
そして、キーワードは「あるがままに」です。

 

精神交互作用

夜、布団の中にいます。
目が冴えます。
時計の音が気になります。
寝なきゃと焦ります。
時計の音が気になります。
気にしないようにしようと思います。
余計音が気になります。
音が大きくなります。
気にすればするほど気になって気になって仕方がありません。
益々眠れなくなります。

ふと、ドキンとしました。
何か胸が締め付けられるかのような。
自分の内面に意識を向けます。
全意識を向けます。
嫌な感覚です。
何か大変なことが起きようとしている。
アラームが鳴ります。
心臓が締め付けられます。
鼓動が高鳴ります。
息が苦しい。
呼吸ができない。
めまいが。
発汗が。
意識が・・・

自分の発表の番が近づきます。
緊張と不安が襲ってきます。
やばい。
緊張してはなりません。
人前でみっともない姿をさらすわけにはいきません。
自分の番が近づいてきます。
鼓動が高鳴ります。
抑え込まなくては。
深呼吸します。
微かに楽になったような気も。
けれど呼吸が不自然です。
胸をギューッと締められるような。
このままではまずい。
息が吸えません。
心臓の音が聞こえます。
ドクンドクンドクン。
脈拍が上がります。
バレてはならない。
気を強く持て。
ドクッドクッドクッ。
あぁ・・・
顔が熱い。
気が遠く・・・

時計の音、パニック発作、緊張場面の三つの例を挙げました。
これらは全く同じ仕組みです。

それは気にすればするほど余計気になるという仕組みです。
望まぬことが起きないように何とかしようとすればするほど逆効果となります。
症状に注目することで余計症状が賦活化されてしまうのです。

これを精神交互作用と言います。
あがり症の方がハマっていくパターンは正にこれです。

人間誰しもが緊張します。
あがり症者とあがり症でない人との違いは緊張してからが違います。

普通の人はたとえあがっても症状にそれほど注目しません。
緊張していることを受け入れ、ドキドキしている自分を受け入れ、そうして目の前の話すことに意識を向けていく中で緊張のレベルが下がっていきます。

あがり症の方は緊張していることをあってはならないこととして、症状に注目します。
目の前の話すことではなく症状の方に注目します。
注目されることで微かな症状でも見逃しません。
敏感にキャッチし、症状をコントロールしようとします。
すると症状はさらに大きくなるという悪循環となるのです。

あがり症の方は、まずこの悪循環の仕組みを知る必要があります。
知ることで、自分が悪循環に陥っていることに気付けるようになるのです。
気付くことで、今までと違うパターンで行動することができるようになります。

まずは、あがり症の悪循環に気付くこと。
そこから始まるのです。