ストレス発散法
人はストレスがたまると何らかの行動に出ます。
それはストレス発散かもしれません。
あるいは何らかの行動パターンかもしれません。
例えば、飲みに行く人もいるでしょう。
友達とランチする人もいるかもしれません。
夫にグチを言う人もいるでしょう。
山登りする人も。
カラオケに行く人。
ひたすら寝る人。
ひきこもる人。
黙る人。
キレる人。
旅行に行く人。
壁を殴る人。
お風呂に入る。
マッサージに行く人。
アロマ。
ゲーム。
ギャンブル。
散歩。
etc・・・
ストレス発散法やストレス時の行動パターンは人によって異なります。
ストレス発散法について良く分からないという人は、過去にヒントが埋まっていることがしばしばあります。
これまでにストレスがかかった時、どんなことをしたらストレスが軽くなったのかを探すのです。
するとカラオケ行ったらすっきりしたとか、電話で友達とおしゃべりしたら気が軽くなったとか、思い出すかもしれません。
そういったものを挙げられるだけ挙げて、覚えておいて、ストレスがたまった時にやってみるといいでしょう。
一度やってみて自分にとって良かったことは、もう一度やってみても効果があることがしばしばです。
何をしている時ストレスが軽くなったかがあまり分からない人は、自分が何が好きか、あるいは何をしている時夢中になるかといったことにヒントがあります。
結構些細なことの中に気付きがあったりします。
ただ、これらで大切なことは、自他への悪影響を及ぼさないものが前提です。
ギャンブルはお金がなくなります。
誹謗、中傷は他者を傷つけます。
暴力や破壊行動は言うに及ばずです。
そして次に、ストレス時の行動パターンから探る方法もあります。
叫びたくなる人、あるいは叫ぶ人。
ものを投げる人。
震えてしまう人。
黙りこくる人。
動悸がする人。
そわそわする人。
殴る人。
こういった行動パターンは、意識無意識にかかわらず、その人がその時必要とするものです。
体が求める、そうせずにはいられない、そうならざるを得ないものです。
こういった時は健全な類似行動を探ります。
叫びたくなる人にはカラオケ。
ものを投げる人にはキャッチボールやボーリング等。
震えてしまう人には、何でしょうかね。例えばダンスとかジムでエクササイズとか。
黙りこくる人には瞑想、あるいは自然の中で独りぼっちになる、あるいは一日中徹底的にひきこもって誰とも喋らない。
動悸がする人にはランニングやダッシュ。
そわそわする人には散策や散歩。
殴る人にはサンドバックか格闘技観戦か。
ここに挙げたものはあくまで一例です。
自分に一番しっくりくるものをやればいいのです。
ストレス時の対処行動は意外にあまりうまくできていない人が多いです。
そういった際には解決を外に求めるのではなく、実はこれまでの自分の経験の中にヒントや答えを探す方が適切なのです。
答えはその人自身が持っているのです。
人生の主体者へ
心理学の考え方は、いろいろ分類することができますが、一つの仕方として原因論と目的論という分け方があります。
原因論は、現在起こっている問題をなぜそれが起こっているか?と、トラウマになった出来事や遺伝、内面の衝動性等を探っていくものです。
原因論ではフロイトが有名でしょう。
これに対しアドラー心理学の考え方に目的論というものがあります。
これは人間の行動には目的があるとする考え方です。
未来の目的に向かって、今の行動を選んでいるのだと。
原因論の考え方に立つと、「~のせいで」とか「~だから」と考えたり、時に自らを環境などの被害者と見立てます。
その考え方はなるほどそうなのか、という気付きはあっても、じゃあそれでどうするの?という問いへの答えは得られません。
しかし、目的論の立場に立つと、過去にいかなることがあっても、そこからどう行動するかはその人が選べると考えます。
この考え方は環境や出来事の被害者という発想から、たとえそうであっても~する、といったように自分自身を人生の主体者と見なします。
あがり症(社交不安障害、対人恐怖症)の方は、トラウマ体験を必ず持っています。
トラウマ体験のないあがり症(社交不安障害、対人恐怖症)の方は、単なる恥ずかしがり屋に過ぎません。
いずれにせよ、あがり症の方がトラウマ体験を経て症状が悪化していく過程で、更にトラウマ体験を重ねていきます。
そうしてパブロフの犬のように症状が固着、固定化していくのですが、その時には自分の人生に様々な制約が課されます。
制約・・・それは、人との関わりであったり、社会参加、職場での自分の能力の発揮、等々。
それは自分の望む人生を阻む要因となります。
そうして考えます。
これさえなければ、と。
そして自分の望む人生を実現することをあきらめかけます。
しかし、アドラー心理学の目的論に立つと、たとえそうであってもそこから目的に向かって何ができるかと考えます。
なぜならば、人は自分の人生の主体者と考えるからです。
私は、あがり症に悩む全ての人に聞きたいのです。
もし、この病が治ったら、今と何が違ってますか?
その時、あなたは何をしたいですか?
この問いに対する答えは重要です。
ここに、あなたの人生の目標が潜んでいます。
そして、その答えを出した自分に問うてほしいのです。
「何のために?」と。
そして得られた答えに更に「何のために?」と聞いてみて下さい。
何度も「何のために?」と。
そうしてろ過された言葉こそが、あなたの人生の真の目的なのです。
あなたの人生の価値観です。
そうして紡ぎだされた人生の目的を意識して恐怖場面に望む時、これさえなければという人生の被害者から、たとえそうであってもという人生の主体者へと変化するのです。
人生の被害者として今の居心地を取るのか、人生の主体者として今の苦痛を選び未来の成功へと挑戦するのか、全ては自分自身で決めることができるのです。