成功探しと成功の再現化

私の元には様々な悩みを抱えた方が来られます。
そしてその悩みを語られます。

これが不安。
こんなことがあった。
これがつらい。

毎日が暗雲が立ち込めるかのようです。
確かにそれはつらいでしょう。
こちらも聴き入ります。

堰を切ったかのように語られます。
そして、一息ついた頃、私はもう完全に習慣になっていますが必ず聞くことがあります。

「それが少しでもマシな時、ちょっとでも良かった時はありますか?」と。

人は、つらい思いをしている時は、あたかもそれが全てのようになってしまいます。
毎日が、そのことだけで覆われているような。

しかし、そんなことはまずないでしょう。
必ず、少しはマシな瞬間、少しは良かった瞬間があるのです。

ただ、そのことに気付かないだけなのです。
注目するところは良くないことばかりで、当たり前のことと思っていることや、良かったことになど気にも留めていないのです。

ですから、私がこの質問をすると皆さん、一瞬考え込みます。
すぐ返答された方はこれまでいませんでした。

そうして絞り出すかのように答えが返ってきます。
しいて言えば・・・など、ちょっとおぼつかないような返答です。

しかし、ここで出てきた情報には、しばしば有益な情報があります。
当然です。
成功事例だからです。

つらかったこと、失敗したこと、落ち込んだことの中には成功事例はありません。
良かった瞬間の理由を考えることで、それを再現させていけば良いのです。
それは成功の再現化です。

「うまくいったことはもう一度やってみよ」
あまりにシンプルで、それがそんなにすごいことなの?と思われるかもしれません。

しかし、この「少しでもマシな瞬間は?」と「うまくいったことはもう一度やってみよ」は、私が対人援助をしている中で、鉄板ネタの一つです。

あがり症の方にお聞きします。

「症状が少しでもマシな時はどんな時でしたか?」

 

原因論から目的論へ

人はうまくいかない時、その理由を考えます。
「あぁだからじゃないか、こうだからじゃないか」

あがり症(対人恐怖症、社交不安障害)の方も同様です。
自分の症状の原因を考えるのです。

気持ちが弱いからじゃないか、呼吸が浅いからじゃないか、人が苦手だからじゃないか、性格が内気だからじゃないか、親の育て方が悪かったからじゃないか、遺伝的にメンタル面が弱い家系なのではないか・・・

この発想を原因論と言います。
物事の原因を探るというもの。
旧来心理学のメジャー的存在であるフロイトなどが提唱した精神分析という手法がそうです。

しかし、近年にあってその実証性、有効性の低さから精神分析の手法は否定されています。
なぜなら、原因論では、理屈が仮に納得できても「それでどうすればいいの?」に対する答えを示せないのです。

それに対し、アドラー心理学などでは目的論を唱えます。
それは仮に今がどれだけ困難でも、今から未来に対してできる行動を考えるのです。
「じゃあどうすればいいの?」を考えるのです。
過去のことは不問です。

つまり、終わった過去に対してはもうどうしようもないのに対し、これからの未来は自分が選択し行動することで築き上げることができるのです。

アドラー心理学の影響を受けた交流分析という心理学の創始者、エリック・バーンは言いました。

「他人と過去は代えられないが、未来と自分は変えられる」