ひきこもりのあがり症を森田療法とアドラー心理学から考察する
ひきこもりの方の一定の割合であがり症(社会不安障害、社交不安症、対人恐怖症、SAD)の方がいます。当然と言えば当然です。人と話したり接することへの恐怖から来るものですから。
最初は、ほんの少しの休憩のつもりだったのかもしれません。
なんとなく家から出づらかっただけのかもしれません。
そもそもいつの間にかぐらいのものだったのかもしれません。
それが、一日二日、一週間、一か月、一年、二年と・・・
周りから見たら何をのんびり、怠け者でだらしない、覇気がないんだ等、思ってしまうかもしれません。
しかし、その表面とは裏腹に本人の中では、切ないまでの葛藤、自己卑下、他者への羨望、絶望的な思いなどがうごめいていることがしばしばです。
当然です。
あがり症の方は本来より良くありたいという思いが強い誇り高き人なのですから。
それができないからこそ、表面とは裏腹にのたうち回るような思いで日々を過ごしているのかもしれません。
あまりに完璧であろうとして些細な自分の欠点を受け入れられない。
< font color=”#000000″>そうして完璧から欠けた自分を責める。
完璧から欠けた自分を他者から隠す。
全ては完璧であるために。
人は完全であろうとして不完全になります。
不完全を受け入れられれば完全に近づきます。
それが森田正馬の言う「あるがまま」です。
ひきこもっているあがり症の人に必要なことは「勇気」です。
不完全な自分を受け入れる勇気。
自分には価値があると信じる勇気。
他者と協力する勇気。
勇気なくして人は困難に立ち向かえません。
前に進めません。
勇気を失ったあがり症の人が勇気を回復するためには、勇気の心理学であるアドラー心理学の言う、自己受容、他者への貢献、他者との繋がりが必要です。
自分のことばかり考えれば考えるほど不幸になるあがり症者に不可欠なもの、それは他者視点です。
他者への貢献、他者への関心、他者との繋がり、それこそが自分にばかり囚われたあがり症にとっての最良の薬なのです。
処方薬やテクニックは対症療法に過ぎません。
あがり症は生き方の病です。
不完全な自分を受け入れ、他者との繋がりを回復し、他者へ貢献するとき、ひきこもりの巣から一歩踏み出し、本当の人生に向かっていくことができるでしょう。
人生の嘘と人生の脇道と
あがり症を含む神経症は無益です。
本人は真剣に悩み、時に治そうと本気で取り組みますが何物をも生みません。
あがり症に限りません。
清潔であらねばならないとして手を徹底的に洗う人がいます。
手がボロボロになっても洗い続けます。
カギを閉めたかどうか気になって何度も家に戻る人がいます。
時計の音が気になって気になって眠れない人がいます。
4や9の数字が縁起が悪いとして忌み嫌い避けようとする人がいます。
本来、困難は発明の母です。
困難から改善なり工夫なり発明なり、何かを発想したり生み出します。
しかし、神経症の彼ら彼女らは何物をも生みません。
なぜか?
そこには人生の嘘があります。
本来、取り組まなければならない対人関係の課題から逃れるために、巧妙なまでの見せかけの課題を創りあげるのです。
全く無益な課題を。
本人も知らずして。
そして、それに悩まされている限り本当の課題から目を反らすことができるのです。
その証拠に本来の課題に取り組む決意がない限り、症状が役に立たなくなったら必ずや別の課題を生み出すに違いありません。
彼ら彼女らは、いったい何のために、どこに向かって、何に生きようとしているのでしょうか?
迷い込んだ人生の脇道から正しい道に帰ってくる必要があるのです。