口下手を変えずして・・・

SSTと呼ばれる認知行動療法のグループワークがあります。
これは生活技能訓練とも言い、会話などのコミュニケーションの訓練を安全で守られた環境で行うものです。

コミュニケーションが苦手な方は実践の場以外で、なかなか練習したり相談する機会がありません。ですからこういった場で練習を積むことで実践に活かしていくのです。

私の職場では月1回のペースでやっています。
参加者の方々に最近気になってること困ってることは何かなどと聞くと、大体似たようなテーマがあがります。

それは職場での挨拶の仕方やタイミング、間合いなどであったり、同僚や上司への声のかけ方、会話の仕方、あるいは家族友人でのコミュニケーションの悩みなどです。

前回のSSTの際も同じように会話することのネタが出て、実際に参加者にロールプレイで話し手役と聞き役をやってもらいました。

そこである聞き役の方がぎこちないながらも熱心にその役割を演じていたので、私はそこを拾って聞くことの大切さを次のように話していきました。

これまで会話することの工夫で、天気ネタや時事ネタ等、発信する側での視点ばかり話してきましたが実はもっと大切なことがあります。

それは受け手側の視点・・・つまり聞き方です。
「きく」という言葉には3種類の漢字があてはまります。
何でしょう?

 

それは「聞く」、もう一つは「訊く」、そしてもう一つは?
それは「聴く」です。

その中でも、きき方で最も大切なことは「聴く」です。
「聴」という漢字は分解すると「十の耳と目と心」で聴く、となります。
それは自分の全神経を集中して聞くということを意味します。

今、Aさんがやってくださったきき方は、まさにこの「聴く」なのです。
だからこそ相手役の方はあれほど話が進んだのではないでしょうか?

 

皆さん、口下手で悩んでいるかもしれません。
しかし、口下手を変える必要はありません。

口下手は裏を返せば聞き上手を意味します。
今、Aさんはどれだけ喋りましたでしょうか?

ほとんど喋っていないですよね?
うなづいたり、うんうん言ったり、少し質問したり、そんなとこですよね?
それでも会話がうまくいっていましたよね?

ですから口下手を変えずして、聴き方が上手くなることで会話が上手になっていくのです。
では聴き方のコツをこれから説明していきます。

それは、共感、うなづき、オウム返し、オープンクエスチョン・・・

あがり症の方は消極的自己中の方が多いです。
消極的自己中とは、積極的に人に対して害を与えることはないが、自分のことばかり考えていることを意味します。

会話する時自分がどう見られているか、どう思われたか、そんなことばかり気にして、肝心の相手の話をまともに聞いていないなんてことが良くあります。

 

アルフレッド・アドラーは言います。

「共感」とは、相手の目で見、相手の耳で聞き、相手の心で感じることである。

あがり症の方が会話する際、自分への囚われはあっても一旦脇に置いておいて、相手の目で見、相手の耳で聞き、相手の心で感じることができたその時、あがることを忘れる瞬間があったことにきっと気付くことでしょう。

 

どしどし活動する

日本で生まれた数少ない心理療法の一つである森田療法は、 20世紀初頭に誕生した後、歴史の審判にも耐え、その実証を示して今に至ります。

その森田療法を生み出した森田正馬の弟子に高良武久がいます。高良は東京の新宿区に高良興生院を開設し、そこで臥褥療法と呼ばれる森田入院療法を長年に渡って行ってきました。

現在は高良は鬼籍に入り、興生院は閉鎖、今現在はその跡地には障害者施設が建っています。

たまたま、仕事でその障害者施設を訪ねた時、そこが興生院の跡地であることに気づき、深く感銘したことを記憶しています。

川沿いの閑静な場所でしたが、そこで様々な悩みを抱えた方々が、明日への希望を失わず、努力されたんだろうなぁ、と想像したものです。

それでこの高良興生院の院長を務めた高良武久ですが、その著書に森田日記療法の記録があります。

対人恐怖症の方は消極的かつ内向的です。
内面では様々な葛藤と苦しみを抱え、かつ、様々な思考を重ねています。

そこで、日記を通して病状ゆえに偏った思考を指摘していき、健常なものへと誘っていくのが森田日記療法なのです。

高良の著書にはその日記療法の患者とのやり取りが記載されていますが、そこで高良が繰り返し述べていることに「不安はありながらも今すべきことをどしどしする」というものがあります。

対人恐怖症の方々は、自分の状態が完全でなければ行動しないといった段階的思考の特性を持ちますが、それを改めて、不安や体調不良はありながらも今すべきことに集中していくことを通して、気づいた時には症状が軽減しているのです。

不安や体調不良はありながらも、エイやっとばかりにどしどし活動してみませんか?
どしどし活動しているなかで、きっと何らかの気付きがあることでしょう。