トイレットペーパーひらひら療法

先日、社交不安障害の集団認知行動療法という研修に出席しました。認知行動療法とは心理療法の一つです。

一昔前の心理療法には、なんだか怪しげでひょっとしたら摩訶不思議な効果が・・・みたいな漠然としたイメージがあったことと思います。

その点、認知行動療法はエビデンス(実証)という実際に効果があるのかどうかを重視したもので、その結果その効果が国際的にも認められ日本において現在は診療報酬化されています。
つまり精神科医が行うとお金をもらえるのです。

そして、この認知行動療法は一対一の心理療法なのですが、これを集団、すなわち複数の人にやってみようというのが集団認知行動療法です。

この試みは、同じような悩みを持つ方々を一つの所にまとめてやることによる効率性と、もう一つはグループ効果を狙ってのものです。

私としては後者の方を重要視しています。
これまで私は様々なセミナーや集まりに参加していく中で、話し方教室やカウンセリングを学ぶ仲間など、たくさんの集まりに関わってきました。

そして、同じような悩みを持つ仲間、または一緒に学ぶ仲間とのヨコのつながりに自分自身が支えられてきた、あるいは触発されてきたことを実感しています。

メンタルヘルスの領域では「ピア(仲間)」という言葉もあります。
ピアとのつながりによる回復、ピアによるカウセリング等、ピアによる様々な試みがなされています。

特に依存症領域、例えばアルコール依存症、摂食障害、ギャンブル依存症、薬物依存症などにおいては、ひょっとしたら医療よりピアの仲間とのつながりの方がより効果が高いかもしれません(あくまで私見)。

といったことから私はグループ効果を重視していますし、だからこそいずれあがり症の方々向けのワークショップを開催するつもりです。来年をめどに現在は準備段階です。

それで話を戻しますが、その社交不安障害の集団認知行動療法のセミナーですが、実際にそれを実施しているクリニックの先生と臨床心理士が講師をしてくれました。

社交不安障害の認知行動療法では権威の先生であり、そこでの実際のセッションの動画を見せてもらいました。

その中で印象的だったのが暴露療法です。
注目を浴びるのが苦手な社交不安障害の方に、あえて苦手なことをしてもらうのです。

そこで今回の動画内容はなんと、ズボンの後ろから40~50センチぐらいの長さのトイレット―ペーパーをひらひらさせて街中を歩くというものです。しかも都心の駅前を。
まじかよ~ですね。

でも、そんなきついことを当事者にやらせる前にまずは言いだしっぺがということで、30代ぐらいの女性の臨床心理士がやっている所を動画に収めたわけです。

その女性心理士の後ろからカメラで撮り、その近辺を当事者たちが距離を置きながら様子を見ていることが動画に映ります。

女性心理士は颯爽と駅前を歩きながらお尻のあたりからトイレット―ペーパーーがひらひら舞っています。
うわ~、目立ちます。

あれれ?ところが誰も気づいた様子はありません。

やがてマックに入ります。
店員さんに道か何かを聞いています。
お礼を言ってくるっと踵を返します。
やばっ、と思ったら店員さんは気付いた様子はありません。

おかしいな~なんで誰も気づかないんだろう、テレビの端々に映る当事者たちにも驚いている様子が伺えます。

駅に入りました。
改札の前で行き交う人々と交差します。
あっ、どこぞのおっちゃんが気付きました。
ちらっと目を向けました。

ところがちらっと見ただけでそれで終わりました。
怪訝そうな様子を見せるわけでもありません。

結局何事もなく動画は終了しました。
この暴露療法の意図は、あなたが思っているほど人はあなたのこと見ちゃいないんだよといった所にあるようです。

は~、こんなやり方もあるんだなぁと思いました。
実際の効果は分かりませんが、偉い先生がやっているだけにきっと効果があるんでしょうね。

私が、ワークショップ開催時にこれをやるか?
う~ん、ないかな。

 

マージャン店時代

このブログでは、対人恐怖症とあがり症と社交不安障害とを全部同じ扱いとして書いてきました。

一部に違いはあるものの私個人的にはそれらを別に分けて考える必要性はあまり感じていないので今後もそうしていくつもりですが、今日は対人恐怖症について語ります。

ここでのキーポイントは人に迷惑をかけているのではないか、人に害を与えているのではないかという視点です。

社交不安障害の場合、自分がどう見られるかという自分視点が大きいのですが、対人恐怖症は他者に迷惑をかけているのではないかという他者視点もあるのです。

 

本題に入ります。

私は以前マージャン店で働いていました。
いわゆる、ポン、チー、カン、ロンのゲームをお客さんとするんですね(あまりにざっくりとした説明)。

もう少し詳しく説明すると、マージャンは4人でするゲームなのですが、いつも仲間が4人集まるわけではないです。
それでもマージャンが好きな人は打ちたいと考えるわけですが、そういった時にマージャン店に一人で行くと店員さんが3人いて一緒に打ってくれるわけです。

そして、もう一人お客さんが来ると店員が一人抜けて、もう一人来ると更に店員が抜けていく、そんなシステムです。

そしてここでは幾ばくかのお金を賭けます。
賭けマージャンです。
店員も同じ条件でゲームするため、負けたら給料が減るシステムです。
実際、負けすぎて去っていく店員もいました。
というかそれが9割以上だったと思います。

日本では、一般庶民のたしなみ程度ならということで賭けマージャンは実質的に認められており、日本全国に何万店ものマージャン店があります。

たまに新聞紙上などでどこそこのマ~ジャン店が摘発された、有名人が捕まったなどといった記事が出たりすることがありますが、そういった場合は高額のレートでやっていたりするようなケースなどで、ごく稀なことです。

私が働いていたお店はたしなみ程度とは言っても、やや高めのレートでゲーム代が高かったのと、高レートゆえにお客さんも強い方が多く、そのため負けて去っていく店員がほとんどだったのです。

それで私も店員としてお客さんとマージャンを毎日打っていたのですが、実はこの頃が私の対人恐怖症が一番ピークだった時代です。

 

とにかく毎日緊張していました。
お客さんと会話すること、お店の電話に出ること、そしてマージャンを打つこと。
することなすこと全てにおいて緊張していました。
ただ存在するだけで緊張しているような有様で、精神科にいくべき状態だったと思います。

そういった中、マージャンををお客さんと打つ際においては、とにかくお客さんに不快な思いをさせたくなかった。
ワイワイ楽しんだり熱心に打っているお客さんにいやな思いをさせたくない。

それで私が恐れたのは自分が緊張することによって場にピリピリした空気感を作り、楽しい雰囲気を壊してしまうのではないかということです。
対人恐怖症のいう人に迷惑をかけたくないという視点です。

そこで取った私の行動は絶対なる抑圧です。
緊張している様子などおくびにも出さない作戦です。

緊張で手が震えそうになるのですが、強烈な意志を持って抑え込む。
呼吸が乱れそうになるのですが、そういう時は息を止める、深い呼吸をしない。
緊張で顔や声が変な風になりそうな時は、気合いで普通の表情にしたり声を発する。

こういった状態で緊張していないふりをして会話したり、ヘラヘラ笑ったりしてマージャンをしていました。
心の中では悲鳴を上げていました。

そして私はいつもお客さんの様子を窺っていました。
緊張感が移ったのではないか、このピリピリ感に息苦しさを感じていないか、つまらないのではないか。
そういったことだけに意識の全てを集中していました。

振り返ってみれば私は人の思惑の奴隷だったのです。

こんな状態だったのでマージャンのことに集中する余裕はほとんどありませんでした。
お金を賭けている以上、本来はそこを一生懸命やらないと生き残れないシステムです。

私は幸いなんとか生き残れるだけの結果は出せましたが、非常に不本意でした。
私は自分のマージャンの才能を確信しながらも、人の顔色ばかり見てそれをほとんど発揮できず、時として給料がほとんど残らないぐらい負けたりすることもあった。

そんな現状が悔しくて悔しくて悔しくて仕方がなかったのです。

私が今違う道に入り、ひたすらに前に進んでいるのもこの頃の悔しさや苦しみがエネルギー源の一部になっているのかもしれません。