(近日予定講座!)
「あがり症克服日めくりカレンダー」出版記念セミナー【新宿7/15】


防衛単純化の罠

人が生きていく上で、様々な不安が当然のように湧いて出てきます。

経済的なもの、就職、家族関係、地震などの災害、異動、恋愛、結婚、老い、等々数え挙げればきりがありません。

いわば不安と共に生きていくのが人生と言えるのかもしれません。
また、不安があるからこそ人間はそれに対処しようと前に進んでいけるのかもしれません。

しかし、ある人達は、人生を取り巻くこの無数の不安に対処していくことに困難を感じます。

そこで考えます。
では、まずは最も優先順位の高い不安に絞って対処していくのが良いのではないかと。

なるほど、これが例えば経済問題なら一生懸命働くことであり、結婚なら婚活等々、具体的な行動に出て解決を図るでしょう。

しかし、全てのことにこのやり方でうまくいくのか?

答えは否です。

あがり症(社会不安障害、対人恐怖症)の方は先程の経済問題と同じように、沸き上がる不安を最優先課題と考え、これを取り除こうと一点に集中します。

そのため、余計なエネルギーは使わず、これさえなければという思考のもと、不安を否定したり排斥しようとあらゆる試みを始めます。
これを「防衛単純化」と言います。

しかし、ここで疑問が生じます。
不安や緊張をあってはならないと否定し打ち消そうとしても、そもそも感情は消えるものなのか?

そうです。感情を消すなどということは不可能なことなのです。

そして、これさえなければと防衛単純化してエネルギーを注ぐことが、逆に不安や緊張を巨大化させて手に負えない化け物に育て上げていることに気づいていないのです。

我々には、緊張してもいい、不安に思ってもいい、それ以上でも以下でもない等価の感情をそのままに体験していくことが必要なのです。

 

生の欲望と死の恐怖(森田療法)

そもそも、感情を否定したり打ち消そうとする発想には、ある視点が欠けています。あがり症の性格という観点から見ていきましょう。

内気な人がいるとします。

引っ込み思案で消極的。
目立たず存在感があまりないような感じ。
人前に出るとはにかみ顔を赤らめる。

彼らは自分が内気であることを程度にこそ差があれ受け入れています。

自分はこんなんだし・・・
自分はこれぐらいでいいや・・・あんなふうになれっこないし・・・
自分がそうである事を認めているのです。

あがり症の人がいるとします。
時に内気な人と同じように見えることがあります。
人前に出ると顔を赤らめ、言葉がつっかえる。

しかし、内面は異なります。
あがり症は自己否定の病です。

こんな自分はあってはならない・・
これさえなければ・・・
どうして自分だけが・・・

断固として今の自分を拒絶します。
その思いが強ければ強いほど苦しむことになるとも知らずに。

あがり症の人は本来、性質的により良く生きたいという思いを強く持っています。

向上心にあふれ、自己内省して改善していく、進歩向上の気質を持っているのです。

森田療法の祖、森田正馬はそれを「生の欲望」と言いました。

生の欲望を陽とすれば、その裏の陰には、死の恐怖すなわち不安や恐怖がある。それを「死の恐怖」と言いました。

あがり症の方々の不安や恐怖が強いのは、裏を返せば生の欲望が強いからこそなのです。

コインの裏表ですね。
両方あってこそのもの。

生の欲望が弱ければ死の恐怖も少ないかもしれません。

だから、生の欲望の強さの反面である死の恐怖が強く押し出された時、あがり症の方々を益々あがりらせ続けるのです。

あがり症は、さながらチェーンの外れた自転車のようなものです。
生の欲望が強いゆえに、前に進もうと自転車を漕ぐが空回りする。

焦ってますます漕ぐ。
が、前に進まない。
益々焦る。
しかし、もがけばもがくほど空回りの度も増し、益々苦しくなっていく。

生の欲望が強いゆえにこそ、どんどん自分を苦しめていくのです。

そして、生の欲望の反面の死の恐怖が、自分のマイナス部分に焦点を当て続けます。

不安、恐怖、恥ずかしさ、情けなさ、失望、等々、それらに対して死の恐怖が拒否反応を起こして、生の欲望が排除しようとする。

けれど、そもそも論として、不安や恐怖、更には身体反応である赤面や震えに対してまで人間の意志で排除しようとすることは、不可能を可能にしようとするようなものです。

これを森田は思想の矛盾と言いました。

そうして、全てのエネルギーをマイナス部分を排除することにつぎ込みながら、見返りは決して返って来ません。

だから、益々もっともっととエネルギーを注ぎこみ続ける。
不毛な悪循環をひたすらに繰り返しているのです。

答えは実はシンプルです。

陰と陽、光と影、マイナスとプラス、それらの負の部分にのみ防衛単純化して、まるで虫眼鏡を当てるかのようにして症状を燃え上がらせてきただけなのですから、陰ではなく陽へ意識を向け、影ではなく光を求め、マイナスではなくプラスの行動をしていく。

負の部分はほっといて、やりたいこと、ワクワクすること、夢中になれること、自分にとって大切なこと、自分の成長につながること、日々の生活、日常の家事、雑務、そういった「正」の部分の活動を膨らませていけばいくほどより良くなっていくことでしょう。

そうして、あがり症の方の外れていたチェーンがはまり再び前に踏み出す時、これまで却って苦しめていた生の欲望が今度は強烈な推進力となり、それぞれの向上の道を辿っていくに違いありません。

その実証は回復者の方々の人生が示しています。