あがって何が悪い?

最近良く聞かれるのですが、あがってしまった時どうすれば良いのですか?と。

私は再三再四に渡って、はからいごとの悪影響を説明します。
要は、あがること、緊張することを恐れるあまりに何らかの行動や考え方を取るのがあがり症の方の特徴なのですが、それらはまずうまくいかないと答えます。

そこに意識を集中するあまり、かえって過度に捉えてしまい、より一層緊張してしまうからです。
注目することであがり症が元気になっちゃうんですね。

なので最近しばしば例えとして溺れる人の例を挙げます。

海で溺れた人が、じたばたした時どうなるのか?
より状況は悪化し益々溺れてしまいます。

溺れた時は抗わずに波に身を任せるしかないのです。
溺れる息苦しさをじっとこらえ、待つことでやがて自然に浮かび上がってくるでしょう。

あがった時はあがることに抗わずに、ただその状況に身を任せ、目の前のことに取り組むしかないのです。
あがる苦しみをじっとこらえ、はからいごとをせずに待つことでやがて、緊張が少しはマシになっている瞬間があることに気付くでしょう。

つまり、「あがることはあってはならないこと」から「あがってもいい」という思考回路のパラダイム転換が必要なのです。

あがってください。
あがってもいいのです。
人としてあがることはあって当然のことなのです。

あがろうがあがるまいがあなたの価値は何ら変わらないのです。

 

逆をせよ

あがることがあってはならないのならあがりなさい。

人に知られてはならないのなら人に知らせなさい。

震えるのを恐れるのなら震わせなさい。

不安が嫌なら不安になりきりなさい。

症状を治したいのなら症状はほうっておきなさい。

あがり症は逆説の病です。
自分が良かれと思ってする行動の全てが望まぬ結果となります。

否定するが故にこそ症状が悪化する。
悪化した症状をさらに否定することで益々症状は悪化する。

この悪循環の輪こそがあがり症の本質です。

うまくいかないパターンをあなたはいつまで続けるのでしょうか?

あがってもいい。
人に知られたっていい。
震えてもいい。
不安になってもいい。
症状があってもいい。

これまで考えてもみなかったあり得ない考え方にこそ解決の糸口があるのです。
うまくいかなかったのなら逆をせよ。

長年なじんだ思考パターンや行動パターンを変えることは勇気がいります。

長年なじんだパターンは例え良からぬものであっても居心地がいいものです。

居心地が良いけど、変わらず悪循環の輪を繰り返すのか。
恐怖が伴なうけど、新たな一歩を踏み出すのか。

全ては自分が選択しているのです。

全ては自分が選択できるのです。