(近日予定講座!)
「あがり症克服日めくりカレンダー」出版記念セミナー【新宿7/15】


あがり症カウンセリング架空事例

「会社の朝礼で100人ぐらいの前で話さなきゃならないんです」

「100人!そりゃすごいですねぇ」

「えぇ、順番に回ってくるんですけど、前回やった時、緊張して頭が真っ白になって・・・声が震えちゃって・・・」

「うん・・」

「上司とか後輩の見てる前でホント恥ずかしくて・・・」

「そっかぁ・・・ショックだった・・」

「はい、また同じことになったらどうしようかと」

「怖い・・」

「はい」

「こういったことはいつからですか?」

「そうですね、なんとなく物心付いた頃からあったんですけどなるべく嫌な場面を避けてきて、今の会社に入って役職就いてから・・」

「そうなんですね。これまであがらないようにって何か準備したりしてきました?」

「はい、原稿書いて用意したり・・・」

「一言一句?」

「はい」

「うまくいった?」

「いえ、途中でどこ読んでるか分からなくなって・・・」

「ダメだった?」

「えぇ、なんとか読むことはできたんですけど・・・」

「そっか、他にはどんなことを?」

「はい、大丈夫、大丈夫って言い聞かせて・・」

「どうでした?」

「はい、結局あがっちゃって・・」

「他には?」

「深呼吸したりとか落ち着け落ち着けとか言い聞かせたりとかして、やっぱり緊張しちゃうんですよね」

「そうですか、他にもあります?」

「ちょっと思いつかないです」

「そっか、これまでこういった風に原稿用意したりとか、いろんなことやって来られたと思うんですけれども、何かそれでうまくいった事ってありました?」

「いえ・・・」

「ひょっとしたらかえって緊張したりしませんでしたか?」

「はい、そうです」

「そういった時どんなこと考えてましたか」

「どうしようとか、あがらないようにって」

「そっかあがらないように緊張しないようにって」

「はい」

「なのに、あがらないようにあがらないようにって思えば思うほど益々あがる?」

「はい」

「ひょっとしたら、あがらないようにあがらないようにってあがらないことを考えているようでいて、実はあがることばかり考えていたのかもしれませんね」

「・・・あぁ、そうかもしれません」

「あがるかどうか、結局あがりのことばっかり考えてしまうから益々気になってあがっちゃう」

「はい」

「結局あがらないようにって思っても思わなくても、どっちにしろあがっちゃってたわけですよね」

「はい」

「だったら今度からやってほしいことがあるんです」

「はい」

「あがるかどうかは一旦脇に置いといて、あがるかもしれないしあがらないかもしれない。けれどもそれはさておき、今目の前のできることに集中してみてください」

「はい・・」

「たとえどれだけあがったとしても今できることに集中する。頭が真っ白になったとしてもどこ喋ってたっけて探すことはできるかもしれない。『ちょっと飛んじゃって』と話すことはできるかもしれない。声が震えたとしても震えながら伝えることはできるかもしれない。」

「はい」

「あがるあがらないんじゃないんですね。あがりを何とかしようとするのではなくて、今目の前の必要なこと行動できることに集中する。それをちょっと次同じような場面があったらやってみてください」

「はい」

「そして、その時何が起こるかしっかり観察してみること。それをやってみてください」

「はい。じゃあ準備しなくていいんですか」

「これまで準備して上手くいきました?」

「いえ」

「そうですね、あがらないための準備じゃなくて必要な準備だけしてみてください」

「はい」

「あがらないように一言一句準備するとか、あがらないように深呼吸してみるとか、あがらないように大丈夫大丈夫と言い聞かせてみるとか、そういうのではなくて、その時伝えなければならない必要なこと、それをきっちり準備してみてください」

「はい」

「つまり、準備する内容のね、仕分けをしてみてください」

「はい?」

「あがらないための準備なのか、必要な準備なのかを仕分けるということです」

「わかりました。やってみます」

森田正馬の言葉~治ると治らないとの境

私たちは西洋医学的思考のもとに生きてきました。
何か問題があればそこに対処すれば治る、そこを改善すれば良くなると。

なぜなぜ分析というものがあります。

工場などで問題やトラブルが起こったとき、なぜなぜと五回追求していくと真の問題の原因が分かるというものです。

なにもそういった大ごとには限りません。
ささやかなことで私たちはなぜ~原因に対するアプローチをやっています。

頭が痛くなったら頭痛薬、傷ついたらカットバン、癌に抗がん剤。
当たり前ですよね。

そしてこの考え方、このアプローチを様々な所に発展させていくわけですね。

頭が悪いんだったら一生懸命に努力しよう、建物が古いんだったら耐震の設備にしよう、眠いからコーヒーを飲もう。

これまた普通の考え方かもしれません。
ところがです。

この世界はそんなにシンプルではありません。
私たちは複雑な世界に生きています。

この発想が通じないものがあります。
それがあがり症を含む神経症です。

この緊張、この不安、それを取るため抑えるために様々なアプローチをします。

しかし実は、この発想こそがあがり症をあがり症をたらしめるまさに原因となってしまうのです。

実はあがり症は緊張と不安に原因があるのではない、緊張と不安に対するその人のあり方に原因があったのです。

それはあたかも火のないところに煙を立たせるかのような、そんな行為です。

あがらないようにあがらないようにと考えてあがり続けるあがり症。
なんと皮肉なことでしょう。

森田療法の創始者、森田正馬は言いました。

「神経質の症状の治ると治らないとの境は、苦痛をなくしよう、逃れようとする間は、10年でも20年でも決して治らぬが、苦痛はこれをどうする事もできぬ、仕方がないと知り分け、往生した時は、その日から治るのである。即ち『逃げようとする』か『踏みとどまる』かが治ると治らぬとの境である」

私たちは、不可能なこと可能なことを見分ける力を持ち、不可能なことに取り込まず可能なことに取り組む必要があるのではないでしょうか。

そしてその言葉を真に実行することのなんと難しいことか。
しかし、あがり症の克服とはまさにここにあるのかもしれません。

(参考記事)
あがり症は判断基準が歪んでいる?~気分本位と推測本位と自分本位に生きる人たち