解決はあなた自身の中にある
おととい、相談に来た若い男性が言いました。
仕事はだいぶ慣れてきてうまくいっているんですけど家に帰りたくないんです、と。
どうやら母親からあれやこれやと理不尽なことを言われるのが嫌なようです。
しかも毎日のようにそれがあるので家を出て一人暮らしをしたいと言うのです。
私は詳しく聞いていきます。
「どれぐらいあるの?」
「いつもなんです」
「いつもって、例えば昨日は?」
「昨日がまさにそのこと言われたんです」
「ふーん。じゃあ、おとといは?」
「おとといはなかったですね。普通でした」
「三日前は?」
「なかったです」
「じゃあ、この一週間では?」
「その一回ですね」
「いつもは一週間に何回ぐらい?」
「大体一回ぐらいですね」
結構、こういう会話って多いんですよね。
「いつも~」とか、「もうほとんど毎日のように~」などと言ってお話しされる方に詳しく聞いていくと、あれ?言っていたほど頻繁じゃないような?といったことがあります。
問題の渦中にあると問題のことばかり考えて、もうそれが常時あるかのように思ってしまうんですね。
そして、問題がなかった時のことは全く認識されていない。
なにしろ、問題がなかった時というのは印象が薄いので意識に留められることが少ないんです。
粒が小さいからざるの目からこぼれていくのです。
ですから、私はその問題がなかった例外の時を根掘り葉掘り聞いていきます。
これを例外の質問と言います。
例外の質問をしていくと、空を覆い尽くした雲の隙間から一筋の光が差し込むかのように、問題がなかった時やうまくいっている時が見つかるのです。
そこにお宝が眠っていることが多いのです。
「いつも失敗ばかりと言いますが、まさか毎回っていうわけではないですよね?100回中100回とか?」
「えぇ、それはもちろんそうです」
「じゃあ、一番最近で失敗しなかったのはいつ?」
などと聞いていくと、お宝が出てくるんですね。
もちろん光など全く見えないような暗黒の空を語り続ける人もいます。
そういった方には例外の質問はあきらめて別のアプローチをしていきます。
そして、例外の質問をしてお宝が見つかった時は、その近辺を掘り下げていくと大判小判がザクザクというわけではないですけど、結構解決の鍵が眠っていることが多いのです。
あがり症の方に状況を聞いていくとほとんど失敗体験ばかりですし、いつも症状にばかり囚われていることを仰られます。
私は、そんな方に聞きます。
「いつも人前で失敗ばかりとのことですが、あれ?今回そうでもなかったな、とか、今回より少しはましだったなといった体験はありませんか?」
「そうですね~、う~ん・・・、あ、そういえば・・」
私はそこを逃がさず、「ほう」、と続きを促していきます。
あがり症の方は理想が高く完璧主義の人が多いです。
いや、むしろ、だからこそあがり症になるのです。
過度の一般化と言って、ほんの少しの欠点や失敗を見て、まるでそれが毎回であるかのように認識してしまうのです。
そして欠点や失敗のあら探しをすることでより強化され、ふと気がついた時には空はいつも暗黒の空となっているのです。
しかし、じつはよくよく見ると暗黒の空から一筋の光が差し込んでいるのです。
暗黒の空の上には太陽があるのです。
私はあがり症の人に言いたい。
あなたは既に解決を持っているのです。
あなた自身の体験の中に既に解決は起こっているのです。
解決をどこか遠い空に求めようとするが、実はあなた自身の中に解決が眠っているのです。
私の仕事は、その幻のように今にも崩れそうなお宝をあなたの中から取り出して目の前に差し出すことです。