あがり症との付き合い方

先日、あがり症克服セミナーにうちのスタッフも参加しました。
そのスタッフはあがり症とは無縁の人なのですが、終わってから目をキラキラさせて言いました。

「良く分かりました。あがり症の人は治すんじゃなくうまく付き合っていけばすごい力が発揮できるですね」と。

そうなんです。
私の言いたいことを言ってくれました。

私はあがり症の渦中にあった時、治る時というのは完全に不安や緊張のない日々を想像していました。
しかし、やがてそれは誤りである事を知りました。

完全に緊張や不安がない人間はサイボーグです。
ましてやあがり症になった人です。

そりゃあ、緊張するでしょうし不安もあるでしょう。
私も今でも時折、対人恐怖的に緊張することがあります。

しかし、緊張してもそれにあまり抗いません。
緊張はそのままに、なすべきことをしているとやがて緊張することにあまり執着しないようになりました。

あがっても「まいっか」なんですね。
私はそういう意味ではあがり症との付き合い方が変わったため、結果的にあがり症が治っていったのだと思います。

そうして、今までに症状に向けられていたあまりにも膨大なエネルギーが、本来の自分の望んでいる方向へと向けられていきました。
これが悪循環からの解放です。

そうなんです。
あがらないようにではなく、あがってもそれとどう付き合うかがあがり症克服の分岐点なのです。

 

あがり症克服の本質論

あがり症(対人恐怖症、社交不安障害)の方々は、単にその症状ばかりを治せば全ては解決すると思っているかもしれません。
その発想ならば服薬することで一定程度は叶うでしょう。
薬は明らかに症状を軽減させてくれるからです。

しかし、それはあくまで表面的なものを取り除くに過ぎません。
その症状を生み出す本質な所までの治癒はしないのです。

服薬であがり症は治るというお考えの精神科医の方々は言うでしょう。
自信がつく。
症状が軽減すれば、何よりQOL(生活の質)が変わる。

私はこれを否定しません。
その通りでしょう。
しかし、ここには一つの洞察が欠けています。

それは、あがり症になる原因と仕組みです。
あがり症になる方には、ものの考え方や捉え方の歪みといったようなものがあります。
それは執着性です。
過剰なまでの自意識の強さや、完璧主義、「こうあらねばならない、こうあるべき」という「べき思考」の強さ。

それらが絡み合って悪循環を形成し、あがり症の症状を形作っているのです。
そしてそれはたまたま、あがり症という結果になったのです。

これらの本質的な執着性に取り組まない限り、あがり症が軽減されても次の問題は必ず起こります。
それは、対人関係であったり、パニック障害、強迫性障害、あるいは過度の健康不安等の別の問題です。
これは、社交不安障害患者のパニック障害や強迫性障害の重複障害の割合の高さからも証明できるでしょう。

これらの障害の仕組みはあがり症の仕組みと似ているからです。

そしてこの本質的気質は薬では治してくれないのです。
ここにこそ私があがり症克服のために森田療法を押している理由があります。

そしてここにこそ、あがり症の症状に取り組むのでなしに、生き方の改善であがり症が軽減しうるという理由もあるのです。