変えられるものに力を注ぐ
あがり症の方は仕分けるのが下手な方が多いです。
何を?
変えられるものと変えられないものを。
変えられないものにばかり力を注ぎ、変えられるものには力を注がない。
そんなことが往々にしてあります。
変えられないもの、それはあがり症においては、あがること、不安になること、ドキドキすること、震えること。
これらをなんとかしようと、つまり変えようとして力を注ぐことは、不毛どころか悪影響すら及ぼします。
では何に力を注ぐべきか?
それは変えられるもの、つまり今目の前のことに取り組むこと、今この瞬間瞬間に集中すること、あれこれ考えずにスッと行動してみることなのです。
その際のコツは、症状があっても、症状がキツくてもそれはそれで脇に置いておいてやってみることです。
変えられるもの、あがり症の方にとっては「行動」であり、そこにこそ力を注ぐべきでしょう。
ただありのままに
野に咲く花はただに美しい。
日向ぼっこをしている猫はなんと気楽なことか。
ただありのままに。
人も然りです。
ありのままにあるがままに生きている人のなんと生き生きしていることか。
ありのままとは何か?
それは背伸びしないこと。
自分の弱さを受け入れること。
不完全な自分を許すこと。
ダメな自分、弱い自分、不完全な自分がいるという事実そのものを、まずは認めてみませんか?
あなたは知らないのではないでしょうか?
それが救いになるということを。
あがり症は病ではなく責任を逃れるためのテクニック
W・B・ウルフは名著「どうすれば幸福になれるか」で神経症(あがり症も含む不安神経症等のこと)について述べています。
「神経症は厳密に言えば決して病気ではない、ということである。神経症は、人生から逃避しよう、人生の問題を回避しようという方向に常に向かっていることを特徴とする、人生に対する姿勢、生きるテクニックの一つなのである。」
「神経症は、成熟した人間が負うべき社会的責任から逃避することを目的としたライフスタイル、と定義するのが最も適当だろう。もっともらしいが非常に苦しい言い訳や責任逃れをする方法を作り上げ、『私はやらない』と言うべきときに『私はできない』と言うようなライフスタイルである」
これはあがり症の苦しみに耐えられずにあらゆる恐怖場面を回避しているような人によく当てはまります。
一言で言えば、あがり症は病ではなく責任を回避するための防衛策(テクニック)なのです。