アドラー心理学《劣等感と劣等コンプレックス》

私は勇気づけを理念に対人援助の仕事に従事しています。

もっとも、現場にいるとそんな綺麗ごとばかり言っていられない面もあります。
時に、支援をしている人に腹が立ったり素っ気なかったりして、勇気づけとは程遠い言動をしてしまうこともあります。
まだまだ道は遠いことを実感しています。

そんな私が、勇気づけの心理学と呼ばれるアドラー心理学に出会ったのは、2012年のことでした。

ちょうど、致知という雑誌を購読し始めた時に、その雑誌にヒューマンギルド代表の岩井俊憲氏へのインタビューが載っていました。

岩井氏は日本のアドラー心理学の草分け的な存在の方です。
フロイトやユングなどに比べてマイナーな存在だったアドラー心理学を元に、研修やセミナー、執筆等々、約30年に渡って地道な活動を続けてこられました。
今、その努力の花が開きつつあります。

それで、私は、その雑誌の記事を読んで、これだ!と思い、即座にHPを調べ研修に申込みました。以後、約2年に渡ってヒューマンギルドの主なセミナーをほとんど受講しました。

ですが、まだまだ何も知らないのを実感するばかりで、今後も勉強していく必要があることを痛感しています。
岩井先生には今後も、ご指導を仰がねばと思っています。

それで、アドラー心理学ですが、自分自身の復習も兼ねて、ちょこちょこと続けて書いていこうと思っています。
今日はまず「劣等感」から。

劣等感は、人間である限り誰しもが感じることでしょう。

それは他者との比較かもしれません。
あるいは、こうありたいと願う自分とそうではない現実の自分とのギャップかもしれません。

そして、この劣等感が異常に高められてしまった状態をアドラー心理学では劣等コンプレックスと言います。
劣等コンプレックスというのは、自分が劣等であるとして、人生で取り組まなければならない課題を避けようとすることです。

あがり症(社会不安障害、対人恐怖症)の方は思い当たる節がありますよね。
回避です。

回避が過剰になったものが劣等コンプレックスなのです。
私は、回避をゲートウェイドラッグと同じようなものとして見ています。

ゲートウェイドラッグとは、アルコールや大麻、シンナー等、最初は安易にいつでも止められると思って手を出す初歩的な薬物のことです。
それがいつの間にか覚せい剤や危険ドラッグ等のより危険な物へと変わっていき体を蝕んでいくのです。

回避=ゲートウェイドラッグは、ひと時の安心を得ることができます。
一回や二回では危険はほとんどないでしょう。

しかし、癖になります。
一回、それによって効果を得られると止めづらくなるんですね。
依存です。

依存症の常ですが、必ず耐性を伴ないます。
つまり効かなくなってくるのです。
やがてもっと危険なもの(より完全な回避)に手を出していくのです。

話を戻すと、本来、劣等感とは誰しもが持つものです。
違うのは、劣等感への対処の仕方なのです。

カウンセラーや心理学者、精神科医にも元々メンタル面で悩みを持っていた方が結構います。
私もそうですね。
なんせ、対人恐怖症尺度で調べれば重度間違いなしだったでしょうから。

そして私が時代を超えた師と仰ぐ、森田療法創始者の森田正馬もそうでした。

つまり彼らは、劣等感をバネにして建設的な選択をしたのです。
これがアドラー心理学の言う「自己決定性」なのです。

つまり、人は劣等感に対して建設的にも非建設的にも対処できるのです。

アドラーは言います。
「いかなる経験も、それ自体では成功の原因でもなければ失敗の原因でもない」

つまり、いかなる経験も劣等感も、それ自体では中性なものに過ぎないのです。
それをアルカリ性にするか酸性にするかを決めるのは自分なのです。

そして、それを決める自分に最も必要なものは「勇気」なのです。
「勇気」を自分の心の容器に満たしていく必要があるのです。