皆さん 、劣等感を持ったことがありますか?

頭のいいあの人と自分を比べてがっかりしたり。

明るく可愛いあの子に比べて自分の容姿に私なんてて思ったり。

あるいは家庭が貧乏で友達とかがいい服を着たり遊びに行ったりしているのを見て羨ましかったり・・・

誰しもが何かしらそういったものを抱えているのではないでしょうか?
いや、むしろ抱えてない人の方が珍しいのかもしれません。
劣等感を持つことは人として当然のことなのかもしれません。

そして、劣等感というのは決してマイナスなものだけとは限らないんですね。

頭のいいあの人を見て自分もああなりたいと一生懸命勉強したり。

自分の容姿に自信がないんであれば、みんなに元気になってもらう明るい性格美人になったり。

貧乏な家に育って、一生懸命働いて一唱懸命稼いで社会で活躍したり。

いじめられた子がボクシングでチャンピオンになったり。

それって、劣等感というものが自分がよりよくなるための原動力にもなることがあるわけなんです。もしかしたら、誰しもが劣等感あってこその今の自分なのかもしれません。

ところが、その劣等感に圧倒されて健全な努力に向かわなくなった時、いびつなことが起こります。

アドラー心理学の祖、アルフレッド・アドラーは言いました。

「すべての人は劣等感を持っている。しかし、劣等感は病気ではない。むし
ろ、健康で正常な努力と成長への刺激である。無能感が個人を圧倒し、有益な活動へ刺激するどころか、人を落ち込ませ、成長できないようにする時に初めて、劣等感は病的な状態となるのである。優越コンプレックスは、劣等コンプレックスを持った人が、困難から逃れる方法として使う方法の一つである。そのような人は、自分が実際には優れていないのに、優れているふりをする。そして、この偽りの成功が、耐えることのできない劣等である状態を補償する」アルフレッド・アドラー『個人心理学講義』

あがり症の人は待てません。
劣等感を抱えてる状態をもどかしく思います。

今すぐの結果を求めます。
今この不安をなくしてほしい、今この緊張が収まってほしい、今この苦しみがなくなってほしい。

よく言えば行動的です。
しかし、悪く言うならば、時に安易な解決策を求めます。

魔法の薬でもいい、ニセ解決策でもいい、逃げでもいい、表面的なものでもなんでも、手あたり次第に今のこの苦しみを取り除こうと模索します。

その結果、自分の手元に残った果実は・・・・・・

あがり症に悩み続けている方にお聞きしたいのです。
どんな果実を手に入れましたか?
その結果、何が良くなりましたか?

私にご相談に来られる方は、当然のことですが、ほとんどの場合がいろいろやってみたけどうまくいかなかったという方ばかりです。

アドラーが言う偽りの成功とは、自分が優れている状態を維持するためのものです。優れているというのは、劣っていないこと。

あがり症の方は内面を捨てます。
内面は治ってほしいけどもうどうしようもない。

だから、人にどう見えているのかという表面的な意味での劣っていない状態を作るために、取り繕います、フリをします。

これまで、たくさんの方のそういった試みやフリを聞いてきました。

プレゼンのための準備。
結婚式のスピーチのための準備。
学会発表、朝礼スピーチ、会議、ゼミ、演奏会・・・・・・

あがっているのがバレないように、隅っこに座る、メイクする、一言一句原稿を用意する、下を向く、マスクする、ペンを握る、直前に階段ダッシュする・・・・・・

これまで、あまりに多大な労力と、あまりに多大な犠牲と、あまりに多大な時間をかけてきた果てに得たもの・・・それが、もしかしたら、何もない。むしろ、益々膨大なムダをかけるようになったりすることもあるかもしれません。

そしてそれは、その涙ぐましい努力が、逆にあがり症をあがり症たらしめていたとも知らずに。あがり症は本当に皮肉な病であり、結果として悲しいまでの現実を突き付けます。

あがり症の方は、もしかしたら、決して手に入れることができない奇跡の果実を求めてるのかもしれません。

青い鳥を追いかけているのかもしれません。
きっとどこかにいるはず、私を救ってくれる青い鳥が。
この世界のどこかに。

そして、日はまた昇り、明日が来る。
全く同じ明日が。希望の色が褪せた灰色の空の元、青き幻影を追い求めて。

森田療法の祖、森田正馬は言いました。

鴨川の水を上に流すようなものと。
サイコロの目を自在に操るようなもの。
夏を寒いというようなもの。

それを、まるで賽の河原に石を積み上げては崩れて、積み上げては崩れてを永遠に繰り返す半永久的な自動マシーン。そして崩れる度に絶望し、絶望しながらもなす術がなく、また繰り返していく。

アルコール依存症の方や薬物依存者が、ダメだと分かっていても抗えず、またやってしまうように。

あがりの症状を治そうとしている限り、あがり症はあがり続けるのです。
メビウスの輪の上を果てもなく青い鳥を求めて。