例外の質問

昨日はブリーフセラピーという心理療法の中心哲学について語りました。
以下の三つです。

1.もしうまくいっているのなら変えようとするな
2.もし一度やってうまくいったのなら、またそれをせよ
3.もしうまくいっていないのであれば、(何でもいいから)違うことをせよ

私の同僚が支援している障害者の方が、とある企業に就職していますが、会社の担当者から再三再四電話がかかってきます。

いわゆる本人の不適切行動に困っているとのこと。
複数の支援機関が関わり、助言をしていますが、なかなか改善されません。

私の同僚を含め支援機関が担当者のヘルプの求めに応じて助言をしますが、それを聞き入れないようなのです。

ちなみにその担当者は普段少年野球の指導をしているようで、体育会系バリバリの方とのことです。
何かにつけ「私は少年野球の指導をしているもので・・」と話すようで、その成功体験を理念に会社でも指導しているようなのですが、何ら改善されていないのです。

よくよく聞くと、その理念は「厳しく指導する」というものでした・・・

これなどはまさしく
「もしうまくいっていないのであれば、(何でもいいから)違うことをせよ」
が必要な場面なのにそれができていないのです。

ちなみに、この担当者は、本人のできていない所に常に焦点を当てていました。
私の所に来る悩み事相談は結構これが多いです。

「面接でいつも失敗ばかりしています・・・」
「娘は人とうまくいった試しがないんです・・・」
「全く眠れていないんです・・・」

私はこういった場合にしばしば質問します。
「本当に?全く一度も?これまでの人生で一度も?」
「ほんのちょっとでもましだった、あるいは良かったことはないですか?」

これを「例外の質問」と言います。

物事において100%ダメといったケースはほとんどないです。
どんなことでも、わずかながらの成功例や、比較的ましだった時があるのです。

その例外を掘り起こして徹底して分析してくことで、解決策や対応策が見つかっていくことが多いです。

メンタル面で大変な状況にある時は、白黒思考と呼ばれるような極端な思考になりがちです。
あがり症の方もそうです。

「人前で話す時は必ず失敗している」
「人と話している時はいつも緊張している」
「異性とまともに話せない」

そう話す方に私は聞くでしょう。
「本当に一度も?」
「ほんのちょっとでも緊張がましだったことはありませんか?」
「これまでの人生でずっと?」

そこからの会話の展開は「例外」という宝物を元に、解決志向の方向性で進めていくことになります。

 

言えなかった「緊張する~」

普段、社会生活を送っている中で、周りの人が大事な場面に臨む時などに、「緊張する~」などと話すのをよく耳にします。

私はこういった言葉を耳にするたびに、不思議な思いに駆られます。
と、同時にうらやましい気持ちも湧いてくるのです。

なぜなら、私はこの言葉がどうしても言えなかったのです。

17歳の時にいきなりあがり症になって37歳ぐらいまでの間の約20年、自分が緊張している、あるいは緊張するという言葉を発したのは正直ほとんど記憶にありません。せいぜい心療内科医に言ったぐらいでしょうか。

私は徹底して自分があがり症であることを隠して生きてきました。
私は人からこう見られるべき自分像、そしてこうあるべき自分像があまりにも高かかったため、自分があがり症である事を人に知られたのなら自分の人生は終わりだとまで思っていました。

自分は人より優れていなければならない。
自分は強くなければならない。
自分には弱みがあってはならない。

今考えるとあまりにも愚かですが、それは当時の私にとっての真実でした。
ですから自分の内面では受け入れざるを得ない「緊張する」自分であっても、それをひた隠しにしなければあるべき自分との整合性が取れなかったのです。

そういった思考を続けていく中で、やがて「緊張」という言葉そのものが恐怖の対象となりました。
見るだけでドキッとします。
その言葉を何らかの文脈で発しなければならない時は戦慄が走りました。

私は「緊張する」などとは口が裂けても言えなかったのです。
ですから「緊張する~」などと言っている人を見ると不思議でなりませんでした。
同時に、それをためらいもなく言えている姿を見て、羨ましい気持ちがこみ上げてくるのです。

この苦しみはいつまで続くのかと絶望的な思いに駆られることもありましたが、今、あれやこれやの道を辿ってきた私は、客観的に見てリカバリーの8合目あたりまで来ているのではないかと思います。

あがり症は自分への囚われの病です。
自分視点からの解放が回復への道となります。

つまり他者視点、あるいは他者への貢献が回復につながるのです。
他者を救うことが自分を救うのです。

私は自分の経験を無駄にはしません。
いかなる負の経験でも活かすことができます。
この世に意味のないことなど何もないのです。

私はかつて最も恐れていた、人と話すこと、人前で話すことを通して、悩める人に希望や勇気を与えることを生業にしていくつもりです。

今月末、カウンセラー向けに認知行動療法セミナーの講師役をしてきます。
まぁ、例によって、始まる直前が緊張のピークになるでしょう。

私は、同じく講師役を務める相棒に言うでしょう。
「いや~緊張する~」