今日は偏ったものの見方をしている思考パターンを類型化したものを、一般バージョンとあがり症バージョンで解説していきます。

生きづらさを感じている人は、どうしても偏った思考回路を持ってしまいがちになります。

周りから見たらとんでもなく変なことを考えたり、言っていたとしても、本人にとっては真実です。

そして、その事実を元に判断、行動するから益々おかしなことになって、時に人間関係を悪化させます。

そして、悪化するからやはり自分の見方が正しかったと歪んだ信念を確信してしまう。

そして、益々偏ったものの見方をしていく…といったように、悪循環を繰り返していきます。

ですから、まずは、そこに気づくことが大事でしょう。
気づき、違和感を感じることで、果たしてこれは正しいのか?と疑問を持つ。それなくして改善はありません。

では、認知の歪みと呼ばれる思考にはどんなものがあるのでしょうか?
以下が代表的なものです。

認知の歪み(一般)

◎べき思考・・・「~ねばならない」「こうあるべき」。理想が高く理想から欠けている状態をあってはならないと考える完璧主義者。理想の基準から自分や他者を見るので、行き過ぎると自分や他者を裁き、自責と他責に向かう誰かを傷つける思考。

◎白黒思考(0か100思考)・・・白か黒かで、ほどほどや中間的なものの見方ができない思考のこと。あいまいさやほどほどといった状態がないため、窮屈さが特徴。近くにいると息苦しくなったり、キャパの狭さを感じてしまう。

◎先読み思考・・・まだ来ぬ未来を、あぁなるかもしれない、こうなるに違いないなどとマイナスに捉えて絶望視する。

◎深読み思考・・・他者のささいな言動から推察し、こう思われたに違いない、私のことを嫌っている、などと深読みし、推測にすぎないものを事実としてマイナスに捉えてしまう思考。

◎関連付け・・・起こった出来事を悪いように自分に関連付ける。全く関係ないのに彼が失敗したのは私のせいだなどと考える。

◎選択的抽出・・・出来事の中から、自分にとって良いことには目もくれず、マイナスとなることばかりを拾ってダメ出しして失望する。


◎過度の一般化
・・・1回か、2回程度の出来事を、いつもそうだとか、決して約束を守らないなどと、あたかも毎回そうであるかのように捉えてしまう思考。


こういったものの見方を持つと、なんだか生きるのが窮屈で他者に対して否定的な見方を持ってしまいがちになります。

こういった状況の時は、たいがい一つの見方しかできていません。
本来、ものの見方はいろんな角度から見ることができるはずです。

だから、こういった状況の時は、多様なものの見方があることを知ることだけで悩みが緩んでいくことがあります。

では、次に、偏ったものの見方をあがり症バージョンで見ていきましょう。

あがり症の方ももちろん、認知が偏っています。
そうでなかったらあがり症ではないでしょうし。

もっとも、人それぞれ何らか偏ったものの見た方は持っているのでしょうが、それが過度になると生きづらくなるのでしょう。

では、以下あがり症バージョンです。

認知の歪み(あがり症)

◎べき思考・・・人前であがってはならない、緊張してはいけない、震えたり赤面することはあってはならないと、厳しい掟を課す。そのためにかくあるべき自分の理想を維持しようと、無茶な試みをする。

◎白黒思考・・・ほとんど問題なくうまくいったのに、緊張して声が少し震えてしまったというたった一つのことで全てが失敗したと捉える。あの時、ちょっと声が震えてしまったからこのプレゼンは大失敗だなどと考える。

◎先読み思考・・・どうしようどうしようと、いずれ来る緊張場面を何度も何度も想像して、失敗した自分のイメージ作りに専念する。声が震えてしまったら?それがバレてしまったら?軽蔑されてしまうのでは?と、まだ来ぬ未来を最悪色に染め上げる。

◎深読み思考・・・たとえば、人と会話している時、人が目をそらしたのを見て、自分と話すのはつまらないのだと考える。あるいは人前で話している時、自分があがっていることがバレたのではないかと思われる証拠を他者の表情から徹底的に探し出す。そして、ダメな奴と軽蔑されたに違いないと考えて、その推論を元に警戒しながらその人に対応する。相手からしたら全く何とも思っていないことなのに、本人は自分の推論を確信してピエロを演じる。

◎関連付け・・・飲み会が白けたのは自分が暗いからと考える。会話が盛り上がらないのは自分があがってしまったせいと考える。

◎選択的抽出・・・うまくいっている所もあったのにもかかわらず、少しどもったことや声がうわずった所などの失敗ばかりを選んで思い返して、後悔と恥辱に苛まれる。

◎過度の一般化・・・特に問題なく会話できる時もあるのにもかかわらず、私は誰ともうまく話せない、私と話す時は誰もがつまらなそうにしている、などと考える。あがり症があることで自分は全てダメと考え、他者を見る時もあがっていなくて堂々としているそこだけを見て羨み尊敬する。


 

なんだかもう、せつなくなっちゃいますね。
どんだけ生きにくいことをやっているんでしょうかね。
もう少し楽に生きられたらどれだけいいことか。

あがり症の方は、正に偏った思考の非現実的な世界を生きています。
いわばそれは真実ではない幻想の世界です。

その幻想から目覚めた時、あがり症の方は客観的な真実の世界を生き始めるに違いありません。

(参考動画)