不安はありながらも

車を運転している時、霧が出てきました。
霧が晴れるまで運転しづらいので車を止めました。

にきびがあります。
にきびがあるといじってしまうので気になってしょうがありません。
なので授業に集中できないと言います。

雨が降っています。
雨があがるまでは濡れるのが嫌なので、外出しません。

飛び込み台の前に立っています。
不安がなくなるまでは飛び込むことを止めました。

人と会話をするのが苦手です。
会話するのに苦手意識がなくなるまでは飲み会に出るのを止めました。

社交不安障害です。
なので社交場面に出ることを止めました。

そうです。
これらはみな同じ理屈です。
あがり症の人の傾向として、障害が完全になくなるまでは行動しない所があります。

これを段階的思考と言います。
不安や恐怖がなくなるまでは危険なので行動しない。

なるほど理屈は通っています。
しかし、そんなことが可能なのでしょうか?

そもそも私達には目的があるはずです。

目的地に早く着くためには、霧があってもライトを照らして進む必要があります。
にきびはあっても、授業に集中することはできるはずです。
雨は降っていても、傘をさして外出することはできるはずです。
不安はありながらも飛び込み台から飛び込むことはできます。
人と会話することが苦手でも飲み会に参加することもできます。
社交不安障害であっても、社交することはできます。

100%の安全がないといけないのでしょうか?
たとえ障害があっても50%の安全、60%の安全でヘルメットをかぶり、シートベルトをして生きていくのが人生です。

もし100%の安全を望むのなら、車には乗らない方がいい。
飛行機には乗らない方がいい。
いつ事故に遭うか分からないのだから。

いやそれよりむしろ、外に出ない方がいい。
何が起こるか分からないのだから。

人に会うのも危険だ。
世の中には何をするか分からない人がいる。

ならばずっと家にいるのが安全だ。
いや、待てよ。
地震が来ると大変だ。
日本から出た方がいい?
いや、むしろ生きていることそのものが危険?

それでいいのでしょうか?
本当はどうしたいんでしょうか?

目的地に向かって進みたい。
勉強に集中したい。
外出したい。
飛び込み台から飛び込んでみたい。
人と会話したい。
人とうまく社交したい。

目的がある限り、リスクゼロはあり得ません。
リスクはありながらも自分の人生をどうするかは自分で決められるのす。

リスクはありながらも行動することはできるはずです。
あがり症の方には「~ながら」「~であっても」の行動が求められているのです。

霧はあっても、雨は降っていても、気分は晴れなくても、不安はあっても、前に進むことはできるのです。

0か100%思考を止め、50%のコンディションで日々を乗り越えていく。
それは、あがり症の人だけに必要なことではありません。

全ての人はそうして生きているのです。

 

奇跡の一日

先日、私の所に相談にみえた女性は、抜毛癖に悩んでいました。
ついつい、自分の髪を抜いてしまうのです。

まだ、お若い女性なのに、頭頂部が見えてしまっています。
痛々しく、何とかしてあげたいと思いました。

その女性は、事情があってお子さんを児童養護施設に預けていました。
月に何回か定期的にお子さんに会いに行きます。
彼女にとって、お子さんに会うことは喜びであり、癒しであり、生き甲斐そのものでした。

彼女にお子さんのいいところを聞きました。
人の気持ちを分かってあげられる所、と彼女は言いました。

私は「ほう」、と聞きます。
それは素晴らしいと思い、詳しく聞いていくと何やら状況が変です。
まだ8才の子供なのにやたらと気使いができて、周りのことも良く見ていると言うのです。

私はあまりよろしくないなと、内心思いました。
会話を進めていくと彼女も気付き始めました。
自分の状態があまり良くない時に子供が気付き、気を使ってくれるし、泣いたりすることもあると言うのです。

彼女にお子さんがどうなってくれればいい?と聞きました。
彼女は言います。
もっと、元気で、あまり気を使わず、自分の言いたいことを素直に言ってほしい、と。

そうなるといいね、と私は言い、じゃあどうすればそうなるかな?と聞きます。
彼女は、う~んと悩みます。

私は言いました。
それは、お母さんが元気になること!と。

お子さんの明るさと、お母さんの明るさが連動しているのです。
子供は親の変化に敏感に気付きます。
当然、お母さんの抜毛癖が悪化するのはお母さんの精神面が不安定な時と見抜きます。

まだ、8才の子供が、自分の気持ちを押し殺して人のために気づかいをするのは非常に不健全です。
本来、無邪気に素直にキャッキャッと遊ぶのがその年頃の健全なあり方です。

私は言いました。
「お母さんが元気になることが〇〇ちゃんが元気になることだし、みんながうれしいこと。
そうなるとそれを見てお母さんもますます元気になって、そうなれば就職できて、お給料ももらえて、あとはそのお金を佐藤さんに貢いで・・・」
「何それ~!」と突っ込まれますが、嬉しそうに笑っています。

私は、続けます。
ミラクルクエスチョンです。

「じゃあ、もし奇跡が起こって、今日一晩寝ている間に森の妖精がパパーっとあなたに粉を振りかけて、あなたの悩みが全て消えてしまったとします。元気な自分で、人の目を見て話せて、言いたいこと言える、そんな自分です。朝起きて、あなたはいつ奇跡が起こったことに気付きますか?」

そうして奇跡が起こった時の一日を20分ばかりでしょうか、話していただきました。
彼女は目を輝かせてアリアリと語っていきました
こちらも、ほう!、へ~、すると?そしたら?などと調子に乗って聞いていきました。

そうして彼女に宿題です。
今、話した奇跡の一日と同じような瞬間がないか、日常の中で探してくるように、と。

彼女はキラキラした目で、分かりましたと答えます。
そして、すごい元気になりました、ありがとうございましたと言って帰っていきました。

ありありとカラーで細部まで、何度も何度もイメージ出来たことは実現するのです。
彼女は、これから奇跡の一日探しをしにいきます。