一病息災

健康中毒とも言うべき人がいます。
自分の健康状態を気にして完璧を求めるのです。
健康でなければならないという信念をもとに、自身の健康状態にやれここが悪い、あそこが悪いだのと日々チェックを入れるのです。

人によっては、おなかが痛いと胃がんでは?、ちょっと体の調子が悪いと自立神経失調症か何かでは?、ちょっと頭が痛いと脳梗塞?などといったように不安に襲われます。

これはあがり症の仕組みと同じです。

森田神経質症とも言うべきもので、症状のことを気にすればするほど却って気になってしまう、これさえなければ万全の体調なのにと思えば思うほど、ほんの些細なことに注目して本当に病気にしてしまうのです。

さながら、源氏の影に怯え飛び立つ鳥の鳴き声を聞いて逃げ出す平氏のようです。
取るに足らないようなことを過剰に取ってしまうのです。

 

一病息災と言います。
人として体のどこかに調子が悪い所は何かしらあるものなんですね。
そして、日々の生活の中で今目の前に置かれたことをこなしていくうちに、そのちょっとした不調のことなど忘れてしまうのです。

 

あがることも同じです。
人である以上あがることは当然のことなのです。
当然にありうべきものなのです。
それをこれさえなければなどと意識を集中することで、かえってあがってしまう。

だったらいっそ最初からあがってしまいましょうか?
試しに、あがる場面であがらないようしするのではなく、あがるように振る舞ってみてください。
どの道あがるんだからまぁ同じことですよね。

 

そしてそこであがっているレベル(0~10)を観察してみてください。全くあがってないのを0、マックスあがっているのを10としてです。
何か面白いことが起きるかもしれませんね。

 

正の妄想へ

あがり症の方の特徴として、まだ来ぬ未来について負の妄想を拡げ、今ある現実について負の妄想を深めていく所があると上記にも書きました。

これは、事実とは異なる架空の出来事を自分自身に体験させることを意味します。

これが厄介なのは二つあります。

 

一つは、単にこの架空の出来事―すなわち妄想を一回だけ体験させるというものではなく、何度も何度も繰り返し擬似体験させ脳に染み込ませていくところです。

もう一つは、鮮明に細部までありありとイメージできることは実現する可能性が高いということです。

善かれ悪しかれ、何度も何度も刷り込まれた思考は実現化へと向かうのです。

 

であれば、どうすれば良いか?

それは、一つには逆をすればいいのです。負の妄想ではなく解決像をイメージさせていくこと。

それは例えば次のような質問をしていきます。
仮に問題がなかったらどんな風になるでしょうか?
何が変わってますでしょうか?
などと根掘り葉掘り聞いていくのです。

そうして正の妄想を増やしていくのです。
問題が解決したときのシーンを、鮮明に、細かいところまで描写できた時、あなたの知らないうちに解決が近づいているに違いありません。