今日は、ひきこもりや対人恐怖症の方の心理状態を解説していきます。

ひきこもりの方の一定の割合で、対人恐怖症の方がいます。

人と会うのが苦痛になったり、話すのが苦痛になったり、しまいには人の目や気配さえも恐れるようになっていきます。

そうして人を避けるようになっていきます。
かといって、これまで通りの生活をしていたら人と会うことも話すことも避けられません。それがこの人間社会での掟です。

そして、ひきこもるわけです。
ひきこもったから対人恐怖になったのか、対人恐怖がひどくてひきこもったのか、その理由は、鶏が先なのか卵が先なのかは分かりませんが、人それぞれでしょう。

両親や周りの人たちは、なんでひきこもったんだろう?と思ったり、時に自分自身でさえも、もしかしたらよく分からずひきこもってしまっている方もいるかもしれません。

けれど、ひきこもりは、本人にとっては本来必然です。

それがベストの選択ではなかったのかもしれない。
けれどもベター、すなわちそうせざるを得なかったという選択なのです。

人はトラやライオンに出会った時、逃げます。
嵐が来そうな雲行きだと、洞窟に入り雨を避けます。
ひょっとしたら人食い族の住む島かもと思ったら、そこの島には近づきません。

当たり前の話かもしれませんが、人は危険からは身を守る必要があるのです。
それは、人間だけでなく動物にでも持っている本能でしょう。

ひきこもりや対人恐怖症の方などもそうでしょう。
世に出ること、人前に出ることは本人にとってはあまりに危険です。
なぜなら、世界は危険だから、他者は時に自分を攻撃してくるから、自分は失敗したら生存の危機に陥るから。

極端な言い方だったかもしれませんが、ひきこもりや対人恐怖症の方は、時にこれぐらいの心理状態にあります。
だから身を守るために、表に出ない決断をします。

そういった様々なプレッシャーのかかる場面でためらいの態度を見せるのです。

そうして、もっともらしい理由をタンスの中からでも、辞書の中からでも、ドラエモンのポケットな中からでも無理矢理引っ張り出してきます。
時に自分自身をも欺いてまで。

なぜなら、どうしても必要だから。

錦の御旗か、あるいは水戸黄門の印籠か、遅延証明書か。
問答無用の証なり、医師の診断書なり、自分が前に進まないための証書が。

そうしてその書面に書かれている理由の中に逃げ込みます。

「この者、ひきこもってもよし」
「この者、ひきこもらざるを得ず」
「この者、ひきこもりとして認める」

なぜならそこが安心基地だから。
外敵や災害から身を守るための。

そんな防衛的で消極的な傾向を持っている、ひきこもりの対人恐怖症者は、一見、気弱で内気な感じに見えることでしょう。
メンタル面が弱いから、ひきこもりになったんだろうと。

けれど、実はそこには、複雑な心理状態が絡んでることがしばしばあります。

アドラー心理学の祖、アルフレッド・アドラーは言いました。

「敗北を排除することによって優越性の目標を得ていた。対人関係で敗北することはなかった。人の中に入っていかなかったからである。仕事でも敗北しなかった。仕事に就いていなかったからである。愛においても敗北はなかった。愛を避けていたからである。主観的には、彼は人生において勝利を収めており、自分自身の条件で完全に人生を生きていた。」(『人はなぜ神経症になるのか』アルフレッド・アドラー、岸見一郎訳、アルテ)

 

これを可能性の中に生きると言います。

ひょっとしたらできるかもしれない、やればできるかもしれないという可能性、できないのではなくやらないからであるという可能性。

それは、負けたくないから。
破れたくないから。
みっともない自分をさらしたくないから。

だから、ひきこもりや対人恐怖症の方は、敗北を排除し、勝利するかもしれないという可能性の中に浸るのです。

「私はできない」という現実が突き付けられることを回避し、「私はできる」という余地を残そうとするのです。

たとえそれがほんのわずかな可能性だったとしても、それがある限り。
まるで、溺れている人が流れできた小枝を必死につかんでいるかのように。

そうまでして小枝を必死につかもうとするのは、失敗は許されないからです。本人の主観的な世界においては。

そうして、仕事も、恋愛もそうです。
失敗しないために最も有効な手段を取ります。

それは挑戦しないこと。
そうして主観的な意味においては、敗北をせずに勝利をする。

なのに、なのに、内から湧き上がるモヤモヤ感、ねっとりとした苦さがまとわりつく、いつもの、あの感覚・・・

それを、罪悪感というのか、後悔というのか、自責というのかは分かりません。

しかし、思考であれこれとさばいたところで、すべては内なる自分が答えを知っているのです。

本当の勝利とは何かを。

そして、やがて知るでしょう。

自分を敗北から守り続けるためには、永遠に可能性の中に生き続けるしかないという事を。

可能性という加工をされたガラスのお城の中で。

(参考動画)