今日は、あがり症(対人恐怖症、社交不安障害)の方が、恐怖場面を恐れるあまりに回避してしまうことのメリットデメリットを解説していきます。

以前、私が支援していたあるパニック障害の方が言いました。

「佐藤さん、この恐怖から逃れられるなら100万円払ってもいいぐらいですよ」と。

私はパニック障害になったことはないので、体感しているわけではないのですが、パニック発作の際は死ぬのではないかと思うぐらいの恐怖と症状に襲われるようです。

そしてそういった発作が起こるような場面を恐れ、回避し、やがて生活場面が狭くなっていきます。

予期不安に囚われた生活が始まります。

電車に乗れなくなります。

外に出られなくなります。
車に乗れなくなります。。

こういった状態になるとそれは広場恐怖と呼ばれる状態になります。

あがり症(対人恐怖症)の方も似たような特徴を持っています。

人前で話すことが想定される場や恐れている状況を前もって知ることができたなら、避けられる限り避けようとします。

私は高校2年の頃いきなりあがり症になりましたが、段々状態が悪化していった高校3年生の頃でした。

その時の国語の先生は教科書を読んでいく際、その日の日付の出席番号の生徒に当てていくやり方でした。

私の出席番号は13番でした。
私は、○月13日のその先生の授業は必ずと言っていいほどサボりました。

授業なんてかったるくてやってらんねーよみたいな素振りで学校の近くの友達の家に行ってタバコ吸ったりゲームしたり、麻雀したりしていました。

これを回避とか回避行動などと言いますが、ストレートに言うなら「逃げ」ですね。

「逃げ」いわゆる回避はやみつきになります。

やがて大学に入りました。
一般教養と言って英語の授業があるのですが、良く当てられて教科書を読まされます。

当然、最も苦手なシーンなのでよくサボるようになり、普通は2年で取り終わるのですが、私は6年目でようやく取りました。

ゼミなどとてもじゃないですがあり得ないです。
その頃の私にとっては最も恐怖する場でした。

私は異例でしたが、ゼミの単位を取らないまま6年半かけて卒業したのです。

回避行動は麻薬と一緒です。

手っ取り早く恐怖場面を避けられるので、何よりの即効性と100%保証された効果があります。ホッとします。いわば一種の快楽です。

だからこそ回避は厄介なのです。
回避が麻薬と一緒と言う以上、そこには強烈な副作用があることを知るべきでしょう。

以下が回避の副作用です。

① 恐怖が更に強くなる

なぜなら、回避することにより、この状況がそうせざるを得ないほどの大変な状況であるという確信を強めるから。

② 依存性ができる

回避で成功体験すると、また恐怖場面があった時に再度頼ってしまう。やがてあまりの恐怖を前に回避なしではやっていけなくなる。

③ 克服体験や社会技能を練習する機会を逃す

回避している以上、やってみたら自分が考えるほどではなかった、あるいは乗り越えることができたという経験を積むことができない。

回避はやみつきになっちゃうんですね。

そして同時に、またやってしまったという後ろめたさを感じます。
じっとりと黒くて生暖かく、何か心にまとわりつくようなあの感覚。

自分を恥じ、情けなく思います。
自信を失います。
心を蝕んでいきます。

そしてその状況を克服する経験のないまま、その状況がいかに恐ろしい場面なのかということを自分の心の中に刷り込ませ、恐怖が肥大化していきます。

その時、もはや小さな壁ですら恐怖のあまりに乗り越える勇気を持てなくなっているでしょう。

そうして、更なる回避を生んでいくのです。
この頃には回避中毒症の一丁出来上がりです。

徹底的に逃げ続け、回避し続けた私が、人生において逃げ通せることができないのだということを悟ったのは、もう何年も後のことでした。

そう悟った頃には、高校2年生まで自信満々に生きてきた自分の影は微塵もなくなっていました。

回避がいかに自己肯定感を下げ、いかに恐怖を高め、いかに人生の質を低下させているか、あがり症の方は回避のリスクを早めに知って依存症予防をしていく必要があるでしょう。

そもそもあがり症の方は、社交場面への恐怖の裏により良くありたいという欲望を強く持っています。

コミュニケーションが嫌で嫌でしょうがないけど、けど、コミュニケーションしたいんです。

話したくないけど話したいんです。
人から逃げたいけど人とうまくやっていきたいんです。

成長したいんです。
向上したいんです。
より良く生きたいのです。

それが叶わぬからこそ苦しいのです。

回避はそれらの望みに何も答えてくれません。
回答不能です。

なるほど、あの尋常でないあがり症の恐怖感からは逃れられるかもしれません。
しかし、徹底的な回避は、自信の崩壊、自己肯定感の喪失も伴ないます。

本当にそれでいいのでしょうか?

あがり症者は、その恐怖がありながらも恐怖に突入していくことを通してしか、より良い明日は描けないでしょう。

そしてそのためには何よりも勇気が必要です。

そして、安心安全のためには人との繋がりが必要です。

アドラーの言う、勇気と繋がりこそがあがり症を救うに違いありません。

 

(参考記事)
アドラー心理学によるあがり症克服と改善のポイント

(参考動画)