人前に出るととにかくあがってしまい、顔が引きつって笑えなくなり痙攣しだしてしまいます

Q. あがり症(社会不安障害)で悩んでいます。30歳の女性です。

人前に出るととにかくあがってしまい、顔が引きつって笑えなくなり痙攣しだしてしまいます。
学校や職場、人前で自己紹介、発言、 発表などの際にその症状が出てしまうのはもちろん、例えば私の誕生日を友達の何人かが祝ってくれたり、バイト先を辞める時に職場の人が集まって花束くれてこちらが挨拶したりする時など、そういう場面でも同じ症状がでてしまいます。

歓送迎会など、自分が主役ではないのにその席で普通に雑談している時、辞める方が1人1人に挨拶してきてくれる時などでも同じです。自意識過剰にも程があると普通の方の感覚では思われるのだと思いますが、とにかく人に少しでも注目されるとそうなってしまいます。

顔が引きつって痙攣するから注目しないでほしいという気持ちなのに、職場ではこんな自分のことを重宝がってくれて注目されてしまう場面がどうしても出てきてしまいます。ある意味 のスルーされてる感じなら注目されずに済むのにと。。。
私は可愛くもないし秀でたところがないのに、自分でもよくわからないけど、私の変なところをキャラとして悪い意味ではなくからかってくれる、可愛がってくれて結果的に注目されてしまうという状況に今までの人生ありました。

本当の私の気持ちは、スルーしないでそうやって関わってくれる人のことは有り難いし嬉しいし、感謝したい気持ちなのですが、とてつもなくあがり症が出てしまうのが辛く、そんな自分が凄く嫌です。

もっと満面の笑みで喜んで、みんなの顔を見て自然に振る舞いたいのに、その場になるととにかくあがって顔が引き攣るところを見られたくない一心でしかなく、その場から早く離れたい気持ちしかなくなってしまうんです。
だから顔を背けたり、早く終わらせる感じでそっけなくなり、相手側からしたら寂しい気持ちになるんじゃないかと思います。
変に思いながらも、私に変わらず接してくれる人ばかりなのに、それでもこの症状が治りません。
とにかく注目されると、わからなくなってしまう、症状から逃げることしか考えられなくなってしまいます。

ずっとアルバイトしか経験がないのですが、それは自分でなるべく目立たないで生きないとという気持ちが強いからです。ですが、アルバイトでも目立ってしまう場面もあるのですが。。。
人と本当はもっと関わりたいし友達も作ったり恋人も欲しいのですが、この症状が出ることが怖くてすべてそういうチャンスのある場所に行かずに生きてきました。

年齢的にこれから友達や彼氏を作ったり、仕事ももっと上を目指したり、厳しいかもしれないけど、挑戦したいです。
でもあがり症のままではできません。

どうにか治る方法はないでしょうか?
心療内科で薬をもらっても、それは解決になるととても思えなくて。。。むしろ依存していかなくてはいけないのかと、覚醒剤のようで怖いんです。
荒治療で私には難しいかもしれませんが、話し方教室などで治る可能性はありますか?
何かセミナー等に参加した等で治ったという方いますか?

治る方法をアドバイスしていただけたら助かります。
(yahoo知恵袋より)

 

A. 考え方の転換が必要でしょう。
「あがり症のままではできません」と仰りますが、それは本当ですか?

本当に?

あなたにはあなた自身ですら気づかない本心があります。

あなたは自分が失敗するのを避けるためにあがり症を理由にしていませんか?
言い換えればあがり症を必要としてはいないでしょうか?

自分の価値が傷つくのを避けるために。
自分を守るために。

厳しい言葉かもしれませんが、「あがり症のままではできません」という言葉は、自分に対して付く「人生の嘘」と呼ばれます。

「できない」のではなく、最初から「しない」と決めているのです。

理由があがり症でなくてもいいのです、
それがなければ別の理由を作るでしょう。

全ては自分を守るために。
自分が傷つかないために。

じゃあ、どうすれば良いか?

それは、あがり症のままに現実生活に飛び込むこと。
あがるままに自分の本当に望むことにチャレンジすること。

本当は友達が欲しいんです。
本当は彼氏が欲しいんです。
本当は仕事でもっと上を目指したいんです。

あなたの生きる欲望が人一倍強いからこそ、蓋をすることでこんなにも苦しんでいるのです。

あなたは本当はどう生きたいんですか?

あがり症がなかったらどうするんですか?

あなたはこの人生を終えるとき、自分の人生を振り返って一体何を考えるでしょう?

葬式の際、弔辞であなたを評して一言、なんと呼ばれたいですか?

あなたは自分の本心を知っているのではないでしょうか。

あなたは呼ばれたいはずです。
困難を前に立ち向かった人と。

自分の内なる声に従って、前に一歩踏み出すのです。