(近日予定講座!)
「あがり症克服日めくりカレンダー」出版記念セミナー【新宿7/15】
フロー体験という言葉があります。
心理学者のチクセントミハイという方が提唱している言葉です。
このブログでも何度か取り上げてきました。
これは難しすぎず易しすぎず、適度なほど良いレベルの課題に取り組んでいる時、時間を忘れるほど没頭するというものです。
ゾーンに入るという言葉もあります。
あるいは、次から次へとやるべきことがあると余計なことを考える暇がありません。ただただ目の前のことをこなしていく。
こういった状態を「なりきる」と言います。
「なりきっている」とき、世の余計なものに囚われません。
ただ、なりきるのです。
あがり症に必要なことも同様です。
なりきっている時、あがり症の囚われから解放されます。
この有り様が、あがり症克服の理想像です。
今目の前の物事に集中することで、あがり症が治るのではなくあがり症を忘れるようになっていくのです。
ここで大事なことは、何も好きなことに限らないということです。
マイナスのことですら「なりきる」ことで、囚われから解放されていきます。
緊張を「あってはならない」とするから囚われるのであって、緊張に「なりきる」ことができれば囚われ続けることができないのです。
楽しいことであれ、苦しいことであれ、不安であれ、「なりきる」ことができれば、心頭滅却して火もまた涼しの心境になるのです。
ところが、上がり症の方は、なりきることをよしとしません。
なりきらずに否定して、排除することにこだわり続けます。
そうして、症状に徹底的に注目します。
注目されたものは増えます。
例えば、ちょっとした傷。
何かしていればそんなに気になることはないのに、傷のことを気にし続けるとなんとなく痛みがズキンズキンすることってありませんか?
他には時計の音。
普段過ごしている時は聞こえようもない音が、眠れない時に限って何かうるさく感じる。
うるさいなぁって思うと余計音が大きく聞こえてくる。
あるいは子育て。
やめなさい!って叱っても全然やめない。むしろやめてほしいかんしゃくとかが増えてしまったり。
そうです。
注目されたところは増えてしまう傾向があるんですね。
あがり症の方は他者の目に注目します。
私を変な人と思っているのではないか。
私があがり症だってバレてしまったのではないか。
私は軽蔑されてしまったのではないか。
そう考えて他者の言動の中に証拠探しをします。
注目が発動します。
そして注目されたところは増える訳です。
必ずや証拠を見つけることでしょう。
例えそれが推測に過ぎなかったとしても。
まるで無から有を生み出すかのようです。
一体何のためにこんなことをしているのでしょう?
そもそもあなたの内なる目標、そしてどんなことに心が突き動かされるのでしょうか?
エドワード・L・デシという社会科学者がいます。
内発的動機づけを研究した人です。
内発的動機とは、外的な報酬や管理ではなく、その人にとっての達成感や充実感など内面から沸き出てくる、やりたい、あるいはしたいという動機を言います。
デシは、内発的動機づけの方が報酬などの外発的動機づけよりも、生産性が高くなることを複数の実験により証明しました。
今やグーグルなど最先端の企業では、この内発的動機づけを元にした雇用形態が取られています。
時代は、20世紀型の成果報酬、雇用管理から、社員の内発的動機づけをいかに喚起するかに変わって来ているのです。
今、最先端と言いました。
しかし、森田正馬という100年以上前の精神科医がいます。
森田療法というあがり症などを対象とした精神療法の創始者です。
森田は言いました。
「生の欲望」と。
「純な心」と。
これらは内発的動機づけとほぼ同じ意味です。
沸き上がる「~したい」という生きる欲望そのままにやっていく。
沸き上がる「純な心」に従って、その感じのままに目の前のことに対処する。
湧き上がってきた最初の気持ちに、報酬やら罰則やら理想やら他者の目やらで加工するから、パワーが損なわれるのです。
内発的動機そのままに、生の欲望そのままに、行動していくこと。
そして、それができたその時、最初に上げたチクセントミハイのフロー体験が実現できているに違いありません。
それが真の自己実現であり、最もその人の能力を発揮することであり、最も生産性を上げるに違いありません。
そもそも、上がり症の症状や原因に対してあれこれと対処するモチベーションは、負を原動力とする外発的動機付けなのです。
苦痛だから排除しようという。
それも必要でしょうが、分野が違います。
そうではなく、正を原動力とする、それは生きる意味であり、やりたいことであり、自分がイキイキワクワクすること、それが内発的動機付け~正の欲望と純な心と。
最先端のチクセントミハイとデシの理論が、古典とも言える森田の理論と繋がる。
森田療法は今なお時代の最先端を走っているのかもしれません。
(参考記事)
人生100年時代のあがり症の生きる意味