今日は対人恐怖症の中でも他害恐怖と呼ばれるものについて解説していきます。
対人恐怖症には様々なものがあります。
よくあるのが、視線恐怖です。
他者の目が怖くて見ることができないというもの。
他にも、会食恐怖は、人と食事している時緊張してしまうというものもあります。
それが辛くて、中には便所飯と呼ばれる、トイレで一人で食事したりする人もいます。
他には、人前恐怖、醜形恐怖、書痙(手の震え)、赤面症、吃音(どもり)、電話恐怖、等々あります。
これらの特徴として、自分が他者にどう思われるのか?ということが主題になります。
しかし、対人恐怖症の中でも他害恐怖というものは、この主題が変わってきます。
それらの特徴は人にどう思われるのかという点ももちろんありますが、それよりも自分が誰かを不快にさせているのでは、害したのではないかということが主題になります。
様々なものがありますが、よくあるのが自己臭恐怖。
自分の臭いが相手を不快にさせているに違いないと考えてしまう。
ちなみに私も高校の頃にありました。
お風呂に入った後にストレッチをした時、たまたま自分の足の臭いを嗅いでしまったことがありました。
その時、匂ったことにショックを受け、風呂にもう一度入って洗ったものの、やはり臭いが取れてない!と思って何度も洗ったような気がします。
そして、学校ではみんなに臭ってしまうのではないかとびくびくしました。
しまいには、怪しげなフルーツの香りがするスプレーを買い、授業中抜け出して下駄箱に行ってブシューとやってたら人が来たので、慌ててそのままその靴を履いて教室に戻りました。
そしたら、それこそ足の臭いと靴の臭いとフルーツスプレーの臭いの混じった、あまりにもしんどすぎる臭いにそれこそなんだコイツはと隣の友達にうちわであおがれたことは若干トラウマになってます。
今考えると笑えますが、当時はもはや悲劇でした。
けれど、これがひどくなると、妄想的なまでに自分の匂いが不快にさせているに違いないと強く信じます。
かつてカウンセリングに来られた人で、自分のワキガが相手に匂っているに違いないと信じて、汗腺の手術を何度もした人がいました。
匂いますよねと聞かれるのですが、全く匂わないんですね。
けれど、たまたま鼻の頭に手をやったり、かいたりすると、あぁやっぱり匂っているに違いないとの信念を深めてしまう。その人にとってはそれが真実でした。
他にも私が麻雀店で働いていた頃は、緊張伝播恐怖(私が命名)。
当時、あまりにもあがり症の緊張がひどすぎたので、せっかく楽しみに遊びに来ているお客さんにも緊張が移って不快な思いをさせるのではないかというもの。
こんなの文章にしたらホントどうでもいいことですが、これには本当に苦しみました。
私一人の勝手な思い込みの世界なのですが、また不快にさせてしまってお客さんを帰してしまうのではないかという恐れと、極度の緊張による動悸と腰痛等の実際の苦しみ、そして実際にお客さんが帰ってしまった時の罪悪感。
これらが相まって、妄想と現実が混濁したような独りよがりの病です。
結局13年間麻雀店で働いている間、治りませんでした。
更には麻雀店という所はタバコの煙があまりにひどく、私は苦しさのあまりタバコの煙が自分の方に来た時は息を止める習慣が身に付きました。
その習慣と極度の緊張が相まって、私は呼吸するということが自然にできないようになり、おかしくなってしまいました。
それが日常生活にも及び、第二の天性として私は寝ているときの呼吸が非常に浅くなりました。間違いなく私のQOL(生活の質)に今なお、影響しています。
このように他害恐怖の人は、結局何かしらの誰かを不快にさせている証拠を見つけ、やはり間違いないとして確信を深めます。
自分のキツい視線が相手をにらんでいやな気持にさせてしまったのではないか?と思って相手の目を見られなくなる人。
さっき自転車で通った道で誰かにぶつかってケガをさせてしまった?と思って来た道を引き返して、ぶつかってしまった証拠探しをする人。
こうして読んでみると、私の緊張伝播恐怖?を含め他者から見たらアホかと思ってしまうようなことなんですが、本人にとっては真実であり、あまりに耐えがたい苦痛で日常生活に影響を及ぼします。
結局こういった他害恐怖の問題で、その原因をつぶしていくアプローチにはあまり効果がないでしょう。
それは例えば、臭う汗腺を手術すること、視線を柔らかくすること、自転車に乗らないこと、麻雀しないこと、そして一番はそんな風に思わないようにしようというもの。
なぜなら、これらは汗腺の問題でも、自分の過度の緊張の問題でもない、自分が誰かを不快にさせているに違いないという信念にこそ根源があるからです。
そしてその信念によって何が得られているか?を知ること。
え?と思ってしまうかもしれません。
何を得られているかって言われてもと。
けれど、そう考えてしまうことは必ず何らかの目的があります。
この発想すらしたことのないようなことを考えていくことにきっと何らかのヒントが出てくるでしょう。
そして、その人が他者を不快にさせてしまうという信念を頭ごなしにそんなことないと否定することなく、その辛さを共感したうえで、そういった考え方を取らざるを得なくなった背景に自分自身で気づいてもらうこと。
ここに、アドラー心理学の言う目的論と、その人の生き方のパターンとしてのライフスタイルを分析することが有効になることでしょう。
【今日のポイント】
・対人恐怖症の中には他害恐怖と呼ばれるものがある
・他害恐怖の治し方は原因をつぶしていくやり方や対症療法に答えはない
・他害恐怖はその目的を知ることと、生き方のパターンを本人に気付かせることに改善のヒントがある