目標設定の仕方

目標を持つということは大切なことです。
目標なき人生はマストなきヨットと同様です。
流されるままです。
目標があることでそこに向かって進んでいくことができるのです。

しかし、時にこの目標が自分を苦しめることがあります。

先日、私が面談した方は部屋が汚くてどこから掃除したらいいか分からない、途方に暮れると仰っていました。

私がその方に聞いたのは、ほんの小さなスペースでいい、ほんの少しの片付けでいい、最も簡単にできる小さなことは何か?ということです。
問題が大きすぎると、自分にはとても無理と思って手を付けることすらしないことがあります。
するとそれは、永遠に解決しない課題となってしまうのです。

なので今できるほんの小さなことから始めることで、意外に次、次と取り組んでいけるようになることは、しばしばあることです。

不登校もそうです。
学校に行く、ということを考えると途方もないことに思えます。
なので、その時もっとも簡単にできるほんの小さなことは何か?と考えます。

例えば校門まで行くこと。
それをさらに掘り下げます。

玄関を出ること。
さらに?

朝起きること。
さらに?

夜、必要な持ち物をカバンに入れること。
といったようにより細分化していくのです。

こうして実現可能な小さな目標を設定できるかどうかが重要となります。

こんな小さな目標に意味があるのか?とお思いになるかもしれません。
しかし、例え小さくても目標を達成することは自信となります。
希望となります。
行動変容こそが大事なのです。

では、あがり症を克服したい全ての方に問います。
今日からすぐにでも始められるほんの些細な行動変容は何かありますか?

ただし、あがらないようにという目標設定ではなく、あがることはそのままにという適切な目標設定をできるかどうかがあがり症の場合は重要になります。

大切なことは、適切な目標を設定できるか、小さな目標を設定することができるか、そしてそのささやかな達成を自分で認めることができるかどうかなのです。

 

主体的に生きる

あがり症(社交不安障害、対人恐怖症)の方は、目の前のあまりの恐怖に怯え、たじろぎます。
無力を感じます。
時に逃げます。

私に相談する方は言います。
「頭が真っ白になり何もできない」
「佐藤先生に言われた通りやろうとしたけど緊張しすぎてできなかった」

つまり恐怖を前に無力だったと。
しかし、厳しい言葉になるかもしれませんが、それはできなかったのではなく、しようとしなかったのです。

人はいかなる状況でも主体的に自分の行動を選択できます。
人はいかなる状況でも自分の行動は自分で決められるのです。

そのために必要なことは、できることとできないことを見分けること。
湧き上がる緊張をコントロールすることはできないが、緊張はありながらも行動することはできる。

それは、緊張しながらも、声が震えながらも、読むこと。
極度の緊張にありながらも、目の前のことに集中しようとすること。
極度の恐怖に身もだえしながらでも、恐怖場面に自分を連れていくこと。

私は、あがり症の恐怖を肌身で知っている人間です。
それがどれぐらい恐ろしいことかは知っています。
逃げたくなるのも当然です。

しかし、私はこのブログで再三再四言ってきました。
回避の恐ろしさを。

回避はやみつきになります。
回避は症状を悪化させます。
回避は自信を失わせます。

最も大切なことは勇気と希望です。
それだけは失わせてはいけません。

勇気と希望は生きる力です。
暗闇の中の一筋の光です。

諦めてはいけません。
克服者はいるのです。
完全に克服しなくてもより良く生きている人はいるのです。

たとえ回避したとしても、たとえ情けない思いをしても、勇気と希望の灯だけは絶やしてはならないのです。

人はいかなる状況にあっても、自分のあり方、自分の態度だけは自分で決められるのだということを知るべきです。