あがり症克服の境地
あがり症の症状がひどい時、どうしても自分を見失いがちになります。
人の話が耳に入ってこない。
読んでいる文章が頭に入ってこない。
周りで起こっていることに付いていけない。
考えること、思うこと、感じること、それら全てが症状への注目に動員され、自分のキャパを越えてしまうのです。
症状とは不安であり、緊張であり、恐怖のことを言います。
これらは、
あってはならない。
人に知られてはならない。
抑えなければならない。
こういった症状への注目、すなわち症状をコントロールしようとすること全てが、皮肉にもあがり症の症状を悪化させていきます。
つまり、症状に注目することで不安や恐怖をより大きなものと捉えてしまい、そうして大きくなった不安と恐怖に更に怯える。
そうした悪循環が繰り返されていくことで、あがり症の症状が固着化していきます。
つまり、あがり症の症状をなんとかしようとしてやったこと全てが、あがり症悪化の原因となってしまうのです。
ならば、逆をせよです。
押してダメなら引いてみよです。
逆とは何か。
あってはならないことはあっていい
と考えること。
人に知られてはならないなら知らせること。
抑え込まなければならないなら開放する。
これらを更に要約すると、
①あがってもいいと考えること。
②あがっている、緊張していると知らせること。
③あがることはあがるままにすること。
これがあがり症克服に必要なあり方です。
②番は敢えて人に知らせなくてもいいかもしれません。ただ、必要に応じて普通に言えるマインドを持っておくといいです。
言えないとしたら、まずは他者には言わなくても自分に言えるといいです。
あぁ、私あがってる、私緊張しちゃってるよと。
緊張している自分を認め、表現する。
これがパンパンになった心の風船から、空気を少し逃がすことにつながるのです。
あがっても良くて、あがっていると伝えて、あがるままに振る舞う。
これが自然にできた時、心が解放されていくのです。
あがり症の方が目指す境地でしょう。
成功の原因追及
私は、カウンセリング等の特に初回面接において、面接の最後によく話す言葉があります。
それは、こうなってるといなぁとか、これがずっと続くといいなぁとか、あるいはちょっとでも症状がマシな瞬間がないか、日常の中で観察してみてくださいというものです。
これを私は宿題として出します。
私がカウンセリングした方で、このブログを呼んでいらっしゃる方は、そういえばと思うかもしれません。
ですが、実は宿題の結果はそれほど求めていません。
宿題の過程にこそ意味があるからです。
それはなぜか?
そもそもカウンセリングに来られる方は悩みを持って来られます。
日常生活があたかも暗雲が覆われているかのように、悩み、苦しんでいる方が来られるわけです。
嵐のような日々を送っている方もいらっしゃいます。
そうなると自分の意識が、症状や欠点等々悪い所探しに明け暮れるようになってしまうわけです。
取るに足らないようなことでも、見つけ出しダメ出ししてしまう。
そうして失望する。
例えばお月さまを見るにしても、明るい部分ではなくウサギの影の部分を見てしまう。
あるいはクレーターの影になっている部分を見る。
さらには月の裏側の暗黒の部分に思いを巡らす。
こうして、本来あるはずの光の部分に気付かないようになってしまうのです。
嵐の中にいると道端に花が咲いているなんて思いもしないでしょう。
しかし、花は晴れの日はもちろん、雨の日も嵐の日も同じようにそこに咲いているのです。
ですから、私は聞くのです。
あなたの光の分はどこですか?
花はどこに咲いていますか?
本当に影の部分しかないんですか?花も咲いていないの?本当に?全く?
あがり症に悩む全ての人に聞きます。
あがり症の症状がマシな時はどんな時ですか?
これまでにこんな時は症状がなかった、いつもだったら緊張するような場面でもこの時は比較的ましだった、そんな時はありませんでしたか?
それを徹底的に洗い出してほしいのです。
ちなみに、ここで一つも見つからない人は一人たりとしていません。
そうして洗い出して見つけた光や花を分析します。
なぜこの時は症状がなかったのか?
なぜこの時は比較的ましだったのか?
どうしてそれができたのか?
その答えが、あなたの強みであったり、解決のヒントになりうるのです。
成功の原因追及です。
そして、過去の洗い出しと分析が終わったら、次は未来です。
これから来る毎日の中で光や花を探すのです。
そうして同様に成功の原因追求をしていきます。
できれば、ノートに書きます。
もし、万が一、これを1年間365日続けることができたなら、必ずや1年前の自分とは違う自分がそこにいるでしょう。
もう、失敗探しや、失敗の原因追及ばかりするのはやめにしませんか?
あがり症に悩む全ての人に必要なことは、成功の原因追求なのです。
そしてそれを習慣づけることです。