不問療法
あがり症克服の心理療法である森田療法はかつて不問療法とも呼ばれていました。
森田療法は明治に始まり当初は入院療法で行われていました。
そこでは患者のあがり症の訴えを不問にしたのです。
つまりあがり症の症状の話は聞かないよと。
患者は不満だったかもしれません。
しかし、やがて日常生活を充実させていくことでいつの間にか症状が軽減している。
魔法のように思えたかもしれません。
現代の森田療法は、入院ではなくほとんどが外来で行われており、そこでは構造上さすがに不問にしておくことはできません。
しかし私はカウンセリングにおいて、しばしばこの不問療法の誘惑にかられます。
なぜならクライエントの方は、いかにあがり症が苦しいか、あがり症を治すのにどれだけのことをしているのか、これがあることでどれだけ支障をきたしているのか等、話すのですが、こちらの意見もそこそこに、でもこれが、けどどうすればなどとひたすら悶々と悩み続けるのです。
悲しいかな、症状のことを中心に据えた話をし続けている限り、右に行こうが左に行こうが、やろうがやるまいが、上を向いても下を向いても、何をしても結局は逆効果なのです。
だから私は不問に付したいのです。
私は症状のことは問わずして、クライエントの方の希望、未来、価値観、強み、治った後どうしたいか、そういったことを話したいのです。
うまくいってそういった話題になった時、空気が変わります。
心理療法は、原因志向よりも未来志向の方が明らかに有効であることは、時代が実証しているのです。
もし治ったら何をしたいですか?
もし治ったら何をしたいですか?
3つ上げて下さい。
1.
2.
3.
そこにはあなたが望むものがあります。
あなたの価値観があります。
本当の自分らしさが表現されているかもしれません。
この質問の答えには大きな意味があります。。
もし、思い付かなかったとしたらあがり症の克服を諦めてしまっているのかもしれません。
治った自分を想像できないのなら治ることは難しいでしょう。
なぜならイメージできないことは実現しづらいからです。
是非治った自分を妄想しまくるといいでしょう。
それがリアルになればなるほど実現の可能性は高くなることでしょう。
偽りの成功は心を蝕む
より良くありたい人は、今の自分に満足できません。
ここが足りない、ここができてない、もっと成長しなきゃもっとやらなきゃと、更なる向上へと自分を動機付けます。
これは自分の劣等感をバネに努力、成長しようとしていると言えるでしょう。
いわば、劣等感こそが成長の原動力なのです。
しかし、時に劣等感が強くなりすぎると意欲をなくします。
現実の壁を前にためらい、立ち止まります。
あがり症の方の場合、こういった時どうするか?
正当な手段では無理と考え、他のあらゆる方法を試します。
逃げたり、抑え込んだり、テクニックを使ったり。
あるいはフリをします。
あがってないフリ。
冷静なフリ。
頭が良いフリ。
実際はそうでないのに、外見だけでもそうであるかのように見せるのです。
これは偽りの成功です。
これで過度の劣等感を穴埋めするのです。
いびつな形での補償です。
いわばハリボテです。
そして偽りの成功を納め、というよりも辛うじて難を逃れホッとします。
一体いつまで偽りの成功を続けていけるのでしょうか?
一体いつまで偽りの成功で心を保つことができるのでしょうか?
あなたはもう十分やって来られたのではないでしょうか?
もうそろそろ、かくあるべき自分を降ろしてもいい頃ではないでしょうか?
ダメな自分を許してあげてもいいのではないでしょうか?