完璧主義から最善主義へ
完璧主義。
全てにおいて一点の曇りもあってはならない。
100点満点中99点だったとして、99点も取ったと考えるのではなく、マイナスが1点あったという発想。
この発想は自分を高める推進力にもなりますが、ややもすれば行き詰まり自分を苦しめます。
そうではなく、やれるだけのことはやった、その上で結果は受け止めるという発想。
それが最善主義です。
完璧主義の罠に陥ってませんか。
それは、不可能なことを自分に課しながらも不可能と思っていないこと。
不可能を可能にしようと神をも超越すること。
私達は不完全な人間です。
最善主義の発想で自分を許してあげてはいかがでしょうか?
感情を認め感情を受け入れる
緊張場面、恐怖場面が近づいてくると、あがり症の方は押し黙ります。
あがっているなんて弱音はみっともなくて吐けません。
緊張しているなんてとても言えません。
そんな表情おくびにも出せません。
平静を装います。
能面のようになります。
顔が硬直します。
感情を否定しすぎなんですよね。
必要なことはあがっている自分を認めること、緊張していると受け入れること。
そしてできれば、あがってきた~、緊張するー、と独り言で言ってみる。
さらには、ハードルは高いですが人にそれを言ってみる。
超緊張してきたー。
あがり症なんですよね。
やば、ドキドキ。
感情は蓋をするとあまりに苦しくなります。
認めて表現することで軽減されるのです。
感情は生き物なのです。
不安はなりきるもの
噴火や地震が起こったとします。
もちろん慌てます。
不安になり怯え、動揺します。その感情のままに逃げたり、机の下に隠れたり。
感情と行動が一致しています。
あがり症者の心の中には噴火や地震レベルの出来事が起こることがあります。
恐怖場面です。
しかし、その感情のままの行動を取ろうとしません。
あたかもそんな恐怖は心の中に生じてないかのように振る舞います。
平静なフリ。冷静なフリ。
感情と行動が分離しています。
どうして地震の時は不安になりきれるのに、あがる恐怖場面では不安はないかのように振る舞うんでしょうか?
そこにはあなたの行き過ぎた価値観があります。
不安を感じないようになどと不可能なことを望んではいませんか?