緊張してもいい
今日はカウンセラーのための勉強会の講師役を務めてきました。
内容の方は詳しくは明日書きますが、予定通り緊張しました。
特に私の場合は予期不安が強いタイプなので、始まるまでと始まった直後に一番の緊張のピークがきます。
しかし、今日の緊張は一般人とさほど変わりなかったのではないかと思います。
あがり症の緊張というものは本来半端ないんですけどね。
今日、私が意識していたのは緊張してもいいんだということです。
そして終わってみて感じたことは、緊張はそれを否定せずそのままに受け入れればやがて波が収まっていくということの再確認です。
緊張してはいけないと思った時は逆に緊張が強まり、緊張していいと思った時は逆に緊張が弱くなる。
いつも思うのですが、あがり症へのアプローチは一筋縄ではいかなくて、パラドックス、いわゆる逆説的対応がカギを握るような気がするのです。
そして今日は、伝えたいことを話している時、言いたいことを行っている時、最もあがることを忘れていました。
やはり自分の思いを伝えようとしている時こそが一番スイッチ入るなぁと感じるのです。
皆さんからも好評をいただき、ありがたいことでした。
私はいずれ、あがり症の方々のためのワークショップを開催しようと思っています。
そこで参加者の方々のお役にたてるよう、今後も講師役としてのスキルを高めていきたいと思っています。
もう、生涯修行ですね。
下記に今日の講座の内容を抜粋してお伝えします。
この世に意味のないことなど何もない
ホットなニュースです。
今日、ある学会のセミナーに参加しましたが、そこで疾患の診断名としてこれまでは社交不安障害と呼ばれた診断名が社交不安症に変わるということでした。
これまでDSMと呼ばれる診断分類で、社会不安障害→社交不安障害となってきたものが、今度は「障害」の部分を「症」に変えて社交不安症と呼ぶというのです。ちなみに今回の変更はDSM5の改訂に伴うもののようですが、英語表記での障害を意味するDisorderという単語は全く変わらず、日本語での訳し方が変わるということです。
ということは理由は聞いていませんが、おそらくはそもそもが対人恐怖症やあがり症と呼ばれていたようなものは、そもそも障害というよりも症状と呼ぶ方が適しているのではないかという考えがあるのではないかと思います。
だって、本来、障害とは永続的に続くものを意味するのに、あがり症は治るわけですからね。実際、精神保健福祉手帳と呼ばれる障害者手帳は社交不安障害のみでは普通は取得できません。それに伴ってうつ症状があるとかなら別ですが。
また、社交不安障害の重くなったケースは回避性人格障害と呼ばれ、確かにこちらの方はなかなか治りにくいので障害と言う方が適しているかなとは思います。
ただ今回、社交不安症と呼ばれることになったとは言いますが、一般で言われるようになるのはまだだいぶ先になるでしょうから、このブログでは社交不安障害でこれまで通りしばらくは書いていきます。
あと一般の方々には、あがり症と対人恐怖症と社交不安障害の違いがなかなか分かりにくいと思います。
実際、それぞれ重なる部分は非常に多いのですが、一部に違いがあります。
これは一般的な呼び名、日本での以前からの呼び名、世界基準での診断名といった複数の捉え方があるからです。
その三つ全てに当てはまっていた私なんかからすると、皆似たようなもんだしどうでもいいじゃんという思いがあるので、このブログでは厳密に言う必要がある時以外は、皆同じような意味で使います。
それで今日の本題ですが、昨日はカウンセラー向けの勉強会で「リフレーミングとP循環」という題名で講師役を務めてきました。
これは天才セラピストとして有名な東豊先生の「リフレーミングの秘訣」という本からヒントを得たものです。
それで、リフレーミングとはなんぞやですが、フレームとは「枠組み」を意味し、それを「リ(再び)」構築するということです。つまり、物事の枠組みを変えるということです。
分かりづらいでしょうから例を挙げます。
コップに半分の水を見てある人は「もう半分しかない」と考えます。
しかし、この一文の枠組みを変える、すなわちリフレーミングするならば、「まだ半分もある」となるわけです。
事実は何も変わらないのに物事の捉え方や枠組みが変わるのです。
例えば、次のようなものでしょうか。
・頑固→意志が強い
・神経質→繊細、きめ細やか
・生意気→自立心が強い
・子供のことでよくケンカする夫婦→それだけ子供のことを思っている夫婦
・何もいいことなんてなかった、絶望のどん底を生きてきた→それほどの困難、苦しみの中今日まで耐え抜いてきた
リフレーミングはそもそもネガティブなことをポジティブに言い換えるためのものです。逆だと相手を貶めたり傷つけたりするだけになります。
人は困難な状況にあると偏ったある種悲観的なものの見方をします。
また、悲観的とは言えなくても事実として確かに負の表現を使わざるを得ない状況もあります。
そういった時にそれは別の見方をすればこうではないでしょうかと相手に提示するのです。
カウンセリングにおいて、このリフレーミングがうまくいった時、相手のつぼにハマった時、それは強烈なカウンセリング的効果をもたらします。
そもそも自分を苦しめていた考え方が違う考えに変わってしまうわけですから。
しかも時としてそれが自分にとってプラスの認識に変わるのです。
私の人生で言うなら、わたしは重度のあがり症でした。
17歳でいきなりあがり症になり、私の人生は180度変わりました。
そこからは坂道を転げ落ちるかのような人生でした。
約20年苦しみ抜きました。
これだけだと悲惨な人生ですね。
自分を自分でリフレーミングします。
この人生を体験したからこそ、あがり症の方々の苦しみが分かる、だからこそ支援できる。
だからこそ悩んでいる方々を見ると勇気づけたくなる。
希望を届けたくなる。
私が対人援助の仕事で一生生きていくことを決めたのもあがり症になったおかげです。
私は現在、障害者の就労支援の仕事がメインの仕事で、カウンセリングや高齢者夜間電話相談などもしていますがそれらは一部の仕事にすぎません。
ですので、あがり症の方々の支援はウェートとしては大きいものではありません。
ですが、いずれ私はあがり症の方々向けの事業を立ち上げます。
その時私はあがり症の方々を前にリフレーミング的に次のように語りかけるでしょう。
これまでさぞ苦しんできたことと思います。
しかし、この世に意味のないことなど何もありません。
皆さんが苦しんできたことにはきっと何らかの意味があるはずです。
私はそう確信しています。
そしてそれを見つけるのです、と。