森田療法セミナーへの思い
私は17歳の頃あがり症になり、長年苦しんできました。
30歳ぐらいの頃に森田療法という本に出会い、そこから人生が徐々に変わっていきました。
その本は私にとって衝撃でした。
まるで、私のことを誰よりも知っているかのように書かれていた本だったのです。
以後約10年を経て私は変わりました。
森田療法の創始者、森田正馬は大正から昭和の時代の人ですが、私にとっては時代を超えた師です。
去年、森田療法学会が主催する全12回の森田療法セミナーの入門コースに参加しました。
入門コースとはいえ、森田療法の第一人者たちが入れ替わり立ち替わり講義してくださり、内容は非常に濃いものでした。
参加者も精神科医、臨床心理士がほとんどで、私がこれまで学んできたカウンセリングの学校等とは参加者のタイプが明らかに異なっていました。
そして、今日、新年度からさらにそのステップアップコースである、森田療法アドバンスコースの初回に参加しました。
この辺に参加する人はかなり専門的です。
ゼミ形式で、いずれ症例の発表もしなければなりません。
そして全7人のうち、なんとか大学とかの精神科医の方が5人、あと一人が臨床心理士。
そして私の肩書きが障害者就労支援コーディネーター。
もう違和感ありありです。
なんでここに俺がいるの?って感じ。
本来、もっとも苦手とするような場です。
しかし、私は今日非常に感慨深くこの場に臨みました。
ついにここまで来た。
そんな思いでした。
私はこれまで、少ない給料のほとんど全てを勉強代につぎ込んで、ありとあらゆる心理関係のセミナーや学校、研修等に出てきました。
その中でも、今日、この森田療法セミナーアドバンスコースに参加することへの思いは別格でした。
なぜなら、私は森田療法に出会い、
森田療法に救われ、
そして、これからは森田療法を理論的支柱にあがり症の方々を支援していく予定ですからです。
自己紹介で私は次のように話しました。
「〇〇障害者就労支援室の佐藤と申します。私は対人恐怖症の当事者です。私は森田療法に出会い回復しました。そしてあと1年後ぐらいに今の職場を辞めて、あがり症の方向けのカウンセリングとワークショップを始める予定です。なので森田療法の学びを深めるために今回参加しました。よろしくお願いします」と。
約半年かけての勉強になります。
学びを深めるだけでなく、森田療法を実践する精神科医の方々や森田療法関係者の方と関係を深めることができればと思っています。
今日を感謝。
「あるがままに」生きる
あがり症(社交不安障害、対人恐怖症)の人は、もともと独特の性格傾向を持っています。
「かくあるべし」「こうあらねばならない」という「べき思考」の強さです。
それは、時に自分を高めてくれる強力な自己規範となりますが、一方、時に自分を苦しめる制約にもなります。
例えばアスリートにとっては妥協しない姿勢は望ましいことでしょうが、本来そこまでの姿勢を必要としないようなことにまでそれが及んだ時に、生きづらさを感じるようになります。
「人前であがってはならない」
「私は強くあらねばならない」
「人と話す時は冷静、かつ平静であるべき」
この「べき水準」に届かない自分は、あってはならないこととして受け入れられないのです。
なるほど、マラソンの選手がメダルを手にするには、2時間10分を切らねばならないということはあるでしょう。
しかし、本来、感情は自然な発露です。
人前で緊張する、あがる、ドキドキする。
これらは人として当然なことであり、これをあってはならないこととして排除しようとするのはいかにも不自然です。
普通の人も緊張することはもちろんあります。
彼ら彼女らは、仕方ないと受け入れることでしょう。
ところが、あがり症者は、それをあってはならないとして否定するのです。
この不可能を可能にするような試みを「思想の矛盾」と言います。
そもそもが不安や緊張は欲望と表裏一体のものです。
「こうありたい」と望むからこそ、望む自分になれるかどうか不安になったり緊張したりするのです。
欲望なくして不安なし、不安なくして欲望なしなのです。
いわば光と影、コインの裏表なのです。
それをなくそうとする姿勢そのものが間違っているのです。
「思想の矛盾」なのです。
影をなくそうとする、コインの裏を消そうとする、そうすればするほど余計気になる。
気にすればするほど影が濃くなり、コインの裏が目に付く。
では、どうすれば良いか?
光と影の一要素である、影を消そうとするアプローチではなく、影はそのままにして、光を求めて行動することなのです。
つまり不安はそのままに欲望に沿って行動すること。
我々ができることはこれしかないのです。
一体、あなたは本当は何をしたいんですか?
どうなりたいんですか?
向上したいんですよね?
あがり症の方は100%向上心が強いはずです。
向上心がないとは言わせません。
あるからこその苦しみなのです。
あなたは健全なのです。
むしろ人より生きる欲望が本来強いのです。
より良くありたいんですよね?
より良く生きたいんですよね?
望む自分になりたいんですよね?
人との関わりに怯えながらも、本当は人との関わりを求めてますよね?
あなたはあなたになる必要があります。
本来の自分自身に帰るのです。
あがらないように、緊張しないようにという単なる手段にすぎないことを目的とするのではなく、あなたが本来求めていたことに気付くのです。
本来求めていたことに向かって進むのです。
あなたは何をしたいんですか?
あがろうがあがるまいが本当は何を求めていたんですか?
あがること、緊張すること、それはそのままにして、自分の本来の欲望に沿って生きる。
これが「あるがまま」の姿勢です。
「あるがままに」生きる。
これが我々のあるべき姿なのです。