未来の自分に宛てて書く手紙

今日は「くちびるに歌を」という映画を見てきました。
新垣結衣主演でファンなのと、アンジェラ・アキの「手紙~拝啓 十五の君へ~」の歌が好きなので、ずっと見たいなぁと思っていたのがようやく見ることができました。

中学校に赴任した新垣結衣が合唱部の顧問となり、合唱コンクールを目指すという内容ですが、中学生達がみんな目をキラキラさせて純粋で、いや~かわいかったです。

あんなふうにちょっとしたことでケラケラ笑ったり、傷ついたり、頑張ったり、自分にもあんな時代あったんだよな~って憧れるような思いで見ました。

それで、アンジェラ・アキの「手紙~拝啓 十五の君へ~」という曲ですが、これは今の自分が未来の自分に宛てて書く手紙に、未来の自分が返信するという内容です。

今の自分は今抱えている悩みを打ち明け、未来の自分はそれに対して励まします。
これは非常にいいですね。

なぜなら、まず大前提として未来の自分は今より大人で今より良くなっているということが挙げられます。
それを前提としたやり取りというものは例え空想だとしても良い循環を作ります。
いや空想だからこそ例え今が困難でも良い循環を作ることができるとも言えます。

また、良くなった将来の自分からの言葉は説得力があります。
なぜならそれは実現した未来なのですから言葉の重みが違うんですね。

心理療法でもこういったものは多くあります。
それだけ未来の自分との対話は効果的かつ治癒的なのです。

私も将来あがり症の方向けのワークショップをやる時はこれは外せません。
今は、どういう風にやろうかとあれこれ妄想中です。

「十五の君へ」の音楽流しながらやろうかなぁ、それともあれしてこれして・・・

拝啓 未来の自分へ
どうすれば一番良いか教えてください・・・

 

真の自己肯定感とは

日本を含めた諸外国の若者の自己肯定感等の調査があります。
毎年、内閣府から発表されています。

「自分自身に満足している」等のそれぞれの項目において、日本以外の国は概ね8割の若者が満足と返答しています。

日本の若者はどうか?

約4割です。
この数字は大体毎年同じようなものです。

日本人の若者だけが圧倒的に低いのです。
理由としては、第二次大戦後の戦後教育、平和と安全という環境等、様々な見解があります。

理由は何にしろ、結果は寂しい限りです。

今日、私の元に相談に来られた若い女性は言いました。

「何がしたいのか分からない」
「お金に関心がない」

彼女は、休職中で障害者求人で職探しをしています。
家族と同居しており、生活費の心配はありません。

彼女はこれまでの一般就労で困難を抱え傷ついていました。
そして何かを求めているのですがそれが何か分からずもがいているようなのです。

私は冗談気味に、それが分かるには一人暮らししてみることだと言いました。
彼女はその意味を理解します。

「日本じゃないとこんなこと言っていられないんでしょうか」

私は言いました。
「その通り」だと。

そしてマズローの欲求5段階というものの説明をしました。
人間の欲求には以下の5段階がある、と。

1.生存の欲求・・・食事、睡眠等の欲求
2.安全の欲求・・・住まい等
3.所属と愛の欲求・・・家族等
4.承認の欲求・・・認められること、必要とされること等
5.自己実現の欲求・・・自分らしくあること、自分の能力を発揮すること等

そして彼女に言いました。
「あなたは1.2.3の三つは既に満たされている」
「日本にいる以上、飢えることはない。お金も母親が支えてくれている。家族もいる。」

「ただ、4と5の二つはその欲求が満たされていない。あなたは、これまでの職場でうまくいかなくて苦しんできた。
失敗すると自信をなくし、人からもつらい言葉を言われた。」

「すると自分らしく言いたいことが言えなくなってくる。
これが好きとか、これが嫌とか言えず自分を抑えつけてしまう。」

「職場の人に認められないだけでなく、自分自身をも認められない。
承認の欲求が満たされていないんです。」

「そして5番目の自己実現もそう。自分が自分らしくいることができず、しかも自分の才能を活かしていない。」

彼女は真剣な目をして聞いています。
私は続けます。

「じゃあ、4と5の二つはどうやって満たすことができるか?」
「それは働くことを通してなのです」と。

「働くことを通して、人の役に立ち、認められ、自分が必要とされていることを実感し、自分で自分を認めることができる。」
「ただ、あなたは、これまでそれが上手くいっていなかった。」

「けど、誰しもが才能を持っている。」
「知的障害を持っている方でもそう。彼らは純粋さを持っている。しかも一つの作業をずっと続けられる根気強さという能力がある。」

「あなたにも必ずある。それを見つけるのです」と。

彼女はコクっと肯きました。

私は思うのです。
中身のない自己肯定感ではなく真の自己肯定感とは、それは世のために役立つことであり、他者への貢献を通して得られるのではないかと。

特に心に悩みを持っている方は、世のため他の誰かのためと言うより、どうしても自分自身に囚われます。
あがり症の人なんて特にそう。

自分のことばかり考えれば考えるほどロクなことはない。自分のことばかり悩めば悩むほど解決には至らない。
家に引きこもって自分のことばかり悩んでいても決して解決することはない。

だったら、考えるより悩むより行動するべきではないでしょうか?

働くことはもちろん、ボランティアでもいい、他の誰かへのたった一言でもいい、世の中への貢献、他者への貢献、他者へのいたわりを通して逆説的に自分自身が救われていくのです。

そしてそれは決して頭の中で理解できるものではありません。
行動して始めて体感できるものなのです。