(近日予定講座!)
「あがり症克服日めくりカレンダー」出版記念セミナー【新宿7/15】
今日は、なぜあがり症の方々が孤立しがちなのか、そしてそこには自分があがり症であると人に「言えないことがある、その背景について語っていきます。
かつて、職場で精神疾患をお持ちの方々と座談会のような場を設けました。
うつ病、アスペルガー、社交不安障害、解離性同一性障害等々、様々な疾患をお持ちの方々が集まりました。
そこである方のネタを元に話し合いが行われました。
それはどこまで自分の障害を開示するかというもの。
ある方は両親などごく親しい身内のみ。
ある方は親友や職場(障害者枠での就労)。
ある方は、誰にでも理解してほしいんでということで基本的に誰にでも伝えているとのこと。
中に社交不安障害の方がいました。
その方は障害者雇用として働いている方です。
伝えている人は、親友や職場だけとのこと。
そして自分の障害を開示する際はだいぶ勇気がいったとのこと。
職場では自分のことなんて言われているか気になるし、実際に言われていたこともあると。
しかし、一方、その方は言いました。
それでも、言ったことで楽になったと。
そうなんです。
告白はそれ自体治癒的です。
告白に伴ない、もちろん痛みを経験することはしばしばあります。
しかし、腹をくくって告白することで、底なし沼にズブズブと沈み続けるような状態から、底なし沼の最も深い部分の底にしっかりと足を踏みしめたような感覚になります。
開き直りです。もう知るかですね。
あるいは王様の耳はロバの耳と言えたのと同じような感覚にもなります。
絶対に秘密だったため心の風船がはち切れそうだったのがスーッと空気が抜けたような。
また、長年指名手配犯だった人が捕まった時にホッとするのと似たような感覚でもあります。
言えないからこそ苦しかったのです。
私もそうでした。
20年ほど前に森田療法の本を読んだ時、克服者は自分があがり症である、あがり症だったと言えるようになると書いてあるのを見て、あまりに遠い世界のように思っていました。
そんなこと言えっこないでしょというか、当時の私は、自分があがり症であることはCIAの機密と一緒レベルでした。
アホか?と言われても、本当にそんな心境だったので、私にとっての真実です。そうして機密を抱えてビクビク怯えるように暮らしていました。
どうしても、あがり症の方は気張ってしまいます。
プライドが高いです。
見栄を張ります。
フリをします。
そういった時、どんな気持ちでしょうか?
おそらく、その状態で落ち着いて自信があってという人はいないのではないでしょうか?
私もかつては落ち着くといった次元は程遠く、心もパンパンになって本当にはち切れそうでした。よくあの時代を凌いだと思わずにはいられません。
しかし、今実感します。
自分があがり症だと言えることがいかに大事かを。
あがっていると言えることの健全さを。
CIAの機密文書を国民に公開することの大切さを。
もし、もし、私はあがり症ですとサラッと言えた時、あがって硬直していた肩の力がフーッと抜けていく感覚を体験するに違いありません。
自分の弱さを認め、小心者であることを認め、こんな情けない自分なんですと身近な人に言えた時、初めて地に足が着いた感覚が得られるのです。
これまで、あまりに自分を高く見せようとしすぎたのではないでしょうか?
これまで、あまりに完璧な自分でなければならないとしすぎたのではないでしょうか?
あまりに完璧であろうと頑張りすぎた末の行き詰まりが今なのです。
恥かしさ、弱さを人前に晒すのが恐ろしいあまりに。
しかし、恥ずかしく思う裏には立派でありたい、人に認められたいという気持ちがあります。
故に恥ずかしいことは何ら恥ずかしいことではないのです。
こんなにも傷付いた自分を、こんなにも否定してきた自分の感情を、もうそろそろ許してあげてはいかがでしょうか?
恥ずかしさは人として当然の感情です。
むしろ、自分を高める健全な感情です。
恥ずかしいことを否定し隠すから余計恥ずかしくなるのです。
あー、恥ずかしいと恥ずかしがれば恥ずかしいことが収まっていくのです。
そしてそれによって、自分がどう感じているのか、本当の自分と一致します。
あがり症者は自分を生きていません。
いつもそこには他者との比較があります。
明るい人を見て自分と比較し失望する。
手先の器用な人を見ていいなぁと思う。
才能のある人を見てその才に嫉妬する。
お金のある人を見て自らにため息を付き、妬む。
イキイキしている人を見てそうでない自分を恥じる。
他者のことは分かりました。
けど、あなたはどうなんですか?
あなたは何者なんですか?
あなたはあなた自身になることを追究していますか?
他者との比較ではなく、昨日のあなたから今日のあなたを、今日のあなたから明日のあなたを比較していますか?
自分自身になることが人生の目的なのではないでしょうか?