アドラー心理学では、人の性格はそれこそ100人いれば100人異なるという考え方なので、基本的には人の性格タイプをよくありがちな類型分けをしません。

けれど、アドラー自身が言っているように学習目的だったり、知的な意味での整理整頓という観点でならあり得ます。

その上で、よく言われているアドラー心理学においての性格類型はいくつかあります。

例えばドライバーと呼ばれるもの。

これは、前向きで上昇志向、立身出世、達成したい、そういったエネルギッシュな方々のタイプを言います。
印象としては実業家あるいはリーダーシップを発揮する人に多いような気がします。

実際の人物としては孫正義さんや、芸能人とか、バリバリ働いていたり輝いてる系?そんなイメージがあります。

次に、エキサイトメントシーカー。

これはワクワクすること、ドキドキすること、興奮することを探し求めるような人を言います。

イメージとしては冒険家とか、チャレンジャーとか、お祭り好きでしょうか。
登山家でプロスキーヤーの三浦雄一郎さん、コンサートやイベントで盛り上がるのが大好きな人だったり、旅行好きもそうかもしれません。

他にはコントローラー。

これは文字通りコントロールする、完全癖が強いタイプです。
元巨人の桑田真澄投手、あるいは千日行などといった修行を行う修行僧、感情を抑えがちな傾向があります。

他にもいろいろな類型があるのですが、あがり症の方は最後のコントローラータイプの人が多いのかなと思います。

完璧主義であったり支配欲が強かったり、それが長所として活かせればすごいのですが、時として自分を縛り、苦しめます。

あまりに高い理想と現実の自分のギャップに苦しむのです。
つまり、かくありたい。
けれど、かくならない。

また、コントロールすべき対象を見誤ると更に自縄自縛になります。
あがり症の方の悪循環はまさにこれに当てはまります。

あがり症の方はコントロールできることと、できないことをごちゃ混ぜにしているのです。

ここをきちんと仕分けておく必要があります。

例えば、沸き上がる緊張や不安。
これらは自然に沸き上がってくるものである以上、コントロールしようがありません。

次に行動。
これは例え恐怖や不安、緊張があっても目の前の仕事や作業には取り組むことができます。いかなる感情や思考をしても行動はできるのです。つまりコントロールできます。

そして人にどう思われるか。つまり他者の評価。
これは残念ながらコントロールできません。
あがり症の方はここを必死に努力します。

良く思われたかったり、情けない自分を見せたくなかったり、軽蔑されたくなかったりといったような。
けれど、それをなあんとかしようというのは、所詮、叶わぬ望みなのです。

明治時代の偉人の一人で、坂本龍馬の師匠の勝海舟は、福沢諭吉から批判を受けた時、こう言いました。

「行蔵(こうぞう)は我に存す(ぞんす)、毀誉(きよ)は他人のもの」

行動は自分のものだが、褒められたり批判されたりするのは他者のものだと。明治の偉人ですら、そればっかりはもうどうしようもないと諦めているのに、あがり症の方は偉人をも超えようとしているかのようです。

あるいは、恐怖場面でのあり方もそうです。
あがり症の方は、ここで100%もがきます。
そして、もがくが故にこそ逆に緊張が増します。
コントロールしようとして逆効果になるのです。

ならばコントロールしないという選択肢もあるはずです。
それは、コントロールを手放すというコントロール法です。

実はこのあり方が、最もあがり症の克服に近いあり方です。

これは緊張しなくなるということではありません。
緊張しようがしまいが、それに逆らわないでいると、やがて感情の波は和らいでくるのです。

つまり緊張してもいいのです。
緊張を前提とすること。
緊張はあるのだと。
緊張はもうしようがないんだと。

緊張に対するあり方があなたをあがり症にしていたのです。

一言で言います。
あなたがあなたのあがり症を選んでいたのです。

そして、選んでいた以上、あなたは変わることも選べるのではないでしょうか。

あがり症の方の中には、親が厳しかったから、幼少期のインナーチャイルドが癒されていないから、自分は臆病だからなどと言う方もいます。

だから、自分はあがり症になってしまった、親がもう少し愛情かけて育ててくれていたらなどと考えたり、あるいは、インナーチャイルドが癒されない限りは自分のあがり症は治らない、臆病だから自分のあがり症は治らないなどと考えます。

それが意味する所は、私は環境や状況、あるいは運命の被害者といったようなところでしょうか。

その時、被害者である以上、解決は遠のきます。
被害者という認識がある以上、変化しようとしてもその位置へ戻されます。

しかし、あなたがあなたのあがり症を選んでいたということであれば、あがり症にならない方も選べるはずです。

あなたはあなたのあがり症を克服できる人生の主体者なのです。