あがり症とは何を見ているかにあります。
他者の視線が気になります。
自分がどう思われてるか。
軽蔑されてはいまいか。
自分の恥の部分を知られてしまったのではないか。
そのため、他者のことが気になって気になってしょうがありません。
他者の言動に敏感になります。
ちょっと誰かがヒソヒソ話をしているのを見ると自分のことを言ってるのではないか。
ちょっと人と目が合うと自分のことを良からぬ人と思っているのではないかと勘ぐります。
こうして考えてみると、人のことに意識を集中してばかりいるのは、一面では他者の気持ちを汲める気づかいもできそうに見えます。
しかし、それは誤りです。
一見、あがり症の方は他者のことばかり考えているようでいて決してそうではなく、実は他者の目に映る自分しか見ていないのです。
そこに他者の気持ちを考える余裕はありません。
他者の気持ちを想像できない以上、気づかいもあまりできません。
つまり、あがり症とは自分のことばかり考えがちな人の自己中の病なのです。ベクトルが他者ではなく自分に向いているのです。
また、あがり症の方は症状を意識します。
この緊張、この不安、このドキドキ、この恐怖、この震え、それらに意識のセンサーを向けます。
これ以上ひどくならないように。
これ以上震えないように。
これ以上緊張しないように。
その心境は、まるで不発弾を処理する爆薬処理チームの一員のようです。
そうしてただ一心にあがりを見続けます。
周りの様々な出来事などお構いなしに。
ただただ、あがり症が治ることを望みます。
緊張と不安がなくなることを、震えなくなることを。
ただ、お聞きしたいのです。
それがあなたの本当の目的ですか?
あがり症が治ることはあなたの本当の目的ですか?
そして、あがり症が治ってから本当の目的に進もうと思っていませんか?
そうして、あがり症が治らない限りは前に進もうとしません。
いつの間にか人生の本当の目的を忘れてしまっているのかもしれません。
人生の本当の目的とは、あがり症が治ることではなく、あなたなりの価値観を満たすために生きることです。
その価値観は人それぞれ違うでしょう。
そして、その本当の目的に沿って生きる前に、人生の脇道にいたあがり症という名の蛇と格闘し続けるのです。
この蛇がいるから前に進むことは危険だ。
蛇をきちんとやっつけなければと。
人生の脇道で格闘しているあなたを見て、誰かがそんなことしてないで道を進んでいけばいいんじゃないのと声を掛けた所で耳に入りません。
仮にそうだねと返事したとしても、次のような会話が繰り広げられます。
「はい・・・でも・・・」
「なるほど分かりました、けど・・・」といったパターン。
あがり症の方があがり症を学ぶに連れ、あがり症の仕組みが分かり、どうしていけば良いかも少しずつ分かっていきます。
にもかかわらず前に進めない。
前に進めないのは恐怖の強さが半端でないから。
そして、そこに潜む失敗体験を恐れて、まだましな今の生き辛さの中に逃げ込みます。
なるほどそれは十分に理解できます。
しかし、あえて厳しい言葉で言うのならば、その方々の中には「治らない」のではなく「治さない」という決断を本人も知らずしてしている場合がしばしばあります。
つまり、あがり症を必要としている人がいるということです。
そんなバカな!と思うかもしれません。
しかし、他者との関わりによって自分を否定されないために、そして他者の前で自分の価値が損なうことのないように、あがり症の症状を作ることでその場面を避ける。
あがり症があるから私はその場に行けないと、さももっともらしい理屈を付けるのです。
他者に対して。
そして自分自身に対してさえも。
現実に直面しようとしないこの生き方を、可能性の中に生きる人と言います。
あがり症があることで現実生活での困難や目標に向かってのチャレンジをしない。
そして、やればできるかもしれないという可能性の中に生きる。
別名、やればできる、治ればできる理論と言います。
この方々に必要なことはあがり症を治すことではありません。
あがり症とは生き方の誤りから生じた吹き出物のようなものです。
あがりの症状をなくす、症状を改善する、そんな表面的な対症療法では本質的な生き方の改善にはならないのです。
体質改善、すなわち生き方の改善をしなくては、また悩みが必ずや生じしてしまうことでしょう。
それは、ノーリスクのあり方からリスクを取る生き方への変容です。
石橋を叩きすぎて壊して渡らない生き方から、石橋を怖いがままに渡ってしまうあり方へ。
だから、あがり症であっても、例え違う悩みであっても、それに立ち向かう勇気こそが必要に違いありません。
そして、勇気を増すには人との繋がりこそ必要でしょう。
そして、勇気を増すには自分には価値があることを実感する必要があります。
だから、とにかく前に進むこと。
だから、あれこれ考えずやってみること。
だから、他者に協力や貢献をすること。
そうしていくなかで、自分の価値を実感でき、更には困難に立ち向かう勇気が付いていくことでしょう。
あがり症とは何を見ているかにあります。
症状は一切見る必要はありません。
あなたにとって大切なこと、あなたにとっての目的、あなたが本当は望んでいる事、ただそれを見続けていくだけで、あがり症は副次的に改善していくに違いありません。