あがり症の方の制度利用
このブログでは、私はあがり症専門カウンセラーとして関連する内容を書いていますが、一方普段は、障害者の就労支援もやっています。
障害、すなわちハンディキャップを持たれている方は、その障害ゆえに生活面はもちろん、仕事上様々な制限や困難さを抱えます。
そのため、国の施策としてバリアフリー等々により、障害者が働ける環境を整備してきました。
これは今後も更に促進されていく必要があるでしょう。
しかし、これらのハード面は主に身体障害者を対象としています。
一方、知的障害者に対しては、構造化と呼ばれる明確かつ分かりやすい仕事環境整備と、彼らの強みの単純反復作業や継続力を活かした作業提供により就労の促進を図ってきました。
そして今、これまで割合としては非常に低かった精神障害者の雇用が国の施策のもと急激に伸びています。
うなぎ登りと言っていいでしょう。
精神障害者の雇用管理は独特のものです。
精神障害者の方々は、心身状態の変化が起こりやすいのが特徴です。
そのため、彼ら彼女らの就労継続性は他障害のそれと比べて明らかに低いです。
この部分をいかに安定させることができるかどうかが労使共々の課題と言えるでしょう。
しかし、労使共々と言いましたが、障害者就労の場合、そこに専門的支援者が介在する余地があります。
生活面、就労面、メンタル面等々、ありとあらゆる分野の支援機関の種類は高齢者の比ではありません。
おそらくは精神障害者の方々の就労継続は、正にこういった支援機関をいかに多面的に活用できるかどうかにかかっているのではないかと思われます。
あがり症(社交不安障害、対人恐怖症)の方々は、それ単独では障害者手帳取得は難しいです。
しかし、あがり症(社交不安障害、対人恐怖症)であるがゆえに、就労面で困難さを抱えたいる人は数多くいらっしゃることでしょう。
そういった方々は仮に障害者手帳がなくても、自立支援医療(精神科に定期的に通院していること)が適用されていれば、様々な制度や支援機関を利用することが可能です。
さらには、あがり症(社交不安障害、対人恐怖症)に、うつ状態等をプラスして従たる障害として診断書に書いてもらえれば、障害者手帳取得の可能性は高くなります。
そうすれば先ほどざっくりと挙げたような各種相談機関を無料あるいは低料金で利用できるだけでなく、障害者就労ということで様々な支援と配慮を得ることが可能です。
こうしてたとえ、あがり症(社交不安障害、対人恐怖症)による生活面、就労面の困難さはあっても、支援を得ることでより良く働いていくことは十分可能です。
障害者手帳取得は心理的ハードルはあるかもしれません。
また、手帳取得そのものにハードルがあるかもしれません。
しかし、障害者手帳がなくてもいろんな支援機関を利用することが可能であることは頭に入れておく必要があるでしょう。
もし知りたい時は、病院やクリニックの相談員やワーカーに聞くか、市区町村の役所で聞くといいでしょう。
もし、何か知りたいことがあったら私の方に質問していただいても結構です。
人はたとえ生きにくさがあっても、誰かに何かに支えてもらうことで、より良く生きていくは十分に可能なのです。
自己選択・自己決定
対人援助の世界では自己決定とか自己選択という言葉が頻繁に使われます。
私も意識的、あるいは無意識的にそのことをベースに支援してきたつもりです。
しかし改めてつくづく感じるのです。
本当にその通りだなぁと。
深い意味で痛感するのです。
何らかの困難さ、生きにくさを持つ方々などにおいて、時と場合によって他者が決定権や選択権を持つ人は多くいます。
子供に対する親。
認知症高齢者に対する介護者、支援者。
知的障害者などに対する親や支援者。
しかし、こういった方々だけでなく自らの人生の選択を他者に委ねがちな人は数多くいます。
こういった場合、その選択についての忍耐力や責任感といったものの重みが軽くなりがちです。
例えば、せっかく就労したのに安易に辞めてしまう人。
周りが勧めるからここに入ったけど本意じゃなかったと言って不平不満をもらす、いわゆる厄介な人。
こういった場合、ともすれば本人が責任を負う必要がある場面で周りの人が何とかしようとして、本人はご気楽、周りはアタフタという構図になることがしばしばあります。
誰の責任か?という話です。
本人の責任を周りの人が負っている限りは決してうまくいかないでしょう。
ご家族や支援者がはまる困難ケースでは、しばしこういうことが起こります。
本人の問題が他者の問題にすり変わっているのです。
方針は一つ、本人が選択し本人が責任を負う構図に持っていくことが大切になるでしょう。
世の中が悪い
教え方が悪い
誰々が悪い
医者が治してくれない
支援者がなんとかしてくれない
あの人があぁ言ったから
こういった人は自分を生きていません。
自分の人生のうまくいかない原因を他者に預けています。
人は自分の人生に責任を持つことで初めて、小さな一歩を踏み出すことができるのです。
人生は自分が作るのです。