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本を読んでいない。
本を読んでいない学生が増えているという記事が新聞に上がっていた。
もちろん仕事上必要な本は読む。
それにしても忙しさにかまけて思うようなペースで読めていない。
あれもこれもと読みたくなる性分で色々買うのだが、積ん読状態なものも多い。
ましてや本来余裕ある時にでも読むべき、仕事とは関係ないような本はここのところ全くと言っていいほど読んでいない。
ここ1、2年そうだ。
30代ぐらいの頃は超ブラックな職場だったらため、365日全く時間のない生活を送っていたが、それでも1日わずか10分でも20分でもわずかな時間を割いて、寝る前に本を読んでいたものだ。
あの時ほど時間を大切にした時はない。
私は人の人生を聞くライフスタイル診断というものを行っている。
これまで約150人ぐらいの人生を平均5~6時間かけて聞いてきただろうか。
最近ふと気づいたことがある。
際立って活躍している人、頭のいい人の中に、小さい頃読書に没頭していた人がしばしばいるのである。
当たり前と言えば当たり前なのかもしれない。
私も読んだ方だ。
しかし、次元が違う。
学校の図書室の本は読むものがなくなったであるとか、図書館の本で読めるものを全て読んでしまったであるとか、だから両親の難しい本や大人が読むような本を読んでいたなど。
ほとんどが小学生にして、中には低学年にして。
その方たちの言語能力、思考能力を見るにつけ納得せざるを得ないものがある。
私は心理学を学んでいるが、よく言われる言葉に、ものの見方は一通りではないということがある。
よく言われるのが、コップに水が半分入っているのを見て、もう半分しかないと考えるのかまだ半分もあると考えるのか。
また、あちらから見たものはこちらから見ると全く別のものであり、あの人の真実はこちらにとっての妄想、こちらにとっての正義はあちらにとってのいい迷惑。
失敗は一面から見たら挫折だが、人生から見ると成功の原因でもある。
いくらでも言い続けられる。
つまり物の見方の多様さこそは、失敗時にはクッションとなり、平時には自分を勇気づける見方を促し、うまくいってる時には慢心しないのである。
きっとそれは、読書によってより涵養されるに違いない。
そうだ、読書をしよう。
なに、たいそうなことではない。
あと1ページだけ、めくろう。