こんにちは。

 

勇気づけを理念に対人援助の仕事をしています佐藤です。

 

あがり症(社交不安障害、対人恐怖症)の当事者、克服者、治療者 という全ての体験を経た勇気づけカウンセラーが、あがり症に悩む全ての人のために、あがり症の仕組みや克服法、そして赤裸々な体験など、あがり症の全てを語っていきます。


私たちは日々様々な感情を体験しています。
それは嬉しいとか楽しいといった望ましい感情だけでなくつらく苦しい感情ももちろんあることでしょう。
生きるということは感情を体験することと言っても過言ではないのかもしれません。

感情には、愛、憎しみ、怒り、妬み、嫉妬、不安、恐怖、喜び、失望、悲しみ、羞恥、等々様々な感情があります。
これらの感情が何かの機会で湧き上がるのは自然なことであり、人間である以上誰しもが体験することなのではないでしょうか。

ですから、そういった感情が生まれるのは自分が弱い人間だからだとか、情けない人間だなどとは思う必要は本来ないはずです。
湧き上がる感情それ自体には責任がないからです。

しかし、あがり症の方々は、湧き上がる感情をあってはならないこととして否定します。
そして、完璧主義者であるあがり症の方々が、不安や恐怖という一点の曇りを打ち消そうと躍起になればなるほど、曇りがやがて暗雲となり自分の心の中を覆い尽くしていくのです。
そうしてやがて危険回避を図るために行動が抑制的になっていきます。
活動を控えるようになるのです。

しかし、よくよく考えて頂きたいのは、湧き上がる感情には責任はないと言いましたが、湧き上がる感情があっても行動する、ということには責任はあるのではないでしょうか。

本来、人にはチャレンジし、失敗する権利があります。
完全に回避的傾向になってしまったあがり症の方は、苦手なことに挑戦する権利、失敗する権利を放棄してしまっているのです。

私は重度のあがり症でした。
その不安や恐怖がどれほど苦しいものか知っています。

しかし、私はどうしても言いたい。
その生き方で一生を過ごして果たしていいのでしょうか?

感情は意志の自由にならないが、行動は意志の自由になります。
行動は私達自身が決められるのです。

私たちは、変えられることと変えられないことをしっかりと見分け、そしてささやかな一歩を踏み出していく必要があるのではないでしょうか。

最後に「ニーバーの祈り」という有名な祈りをご紹介させていただきます。

<ニーバーの祈り>
神よ
変えられないものを受け入れる静けさと
変えられるものを変える勇気と
そして変えられるものと変えられないものを見分ける英知を与えてください

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