人を感動させるもの

SST(ソーシャルスキルトレーニング)というグループワークがあります。
文字通り、ソーシャルスキルを向上させるための訓練を行います。

訓練というと重苦しいですが、大体10人前後の参加者で、より良いコミュニケーションを図れるよう実際の場面を想定したロールプレイを行ったり、皆さんが楽しめるようなワークも行います。

批判なし、発言したくないときはパスすることもありなどのルールがある守られた環境で、同じような課題や悩みを持つ仲間と共に、時に失敗したりしながら成長を図っていくのです。

 

そもそもソーシャルスキルすなわちコミュニケーションに困難さを抱えている方々にとっては、こういった場に出ることは相当なプレッシャーになります。

そのため見学のみの参加も認めています。

見学で段々慣れていき、参加者の様子に触発されてやがて参加されるという方もいます。

 

ある時、Aさんという細身の若い女性が見学されました。

見るからに緊張していて、声を掛けても片言の言葉を必死に振り絞って返すかのようでした。

何回か見学され数ヶ月経った頃、彼女はついにSSTに参加しました。彼女にとっては、まさに清水の舞台から飛び込むような心境だったことでしょう。

もちろんパスすることはありとはいえ、この場では発言することも当然求められます。

彼女はその都度身を震わせて、か細い声を発していました。

彼女はSSTに参加し続けました。
私は、なるべく彼女に発言させることは控えめにしていましたが、だからといって彼女に全く当てないことは彼女の勇気に失礼です。

なので、もちろん質問などを振りました。

彼女は時に見ているこちらが痛くなることもあるぐらい、必死に答えていました。

 

やがて、ある別のセミナーが行われました。

参加者は30~40人ぐらいいたでしょうか、
そこに彼女も参加していました。

講義やワークなどが一段落ついた頃に講師の先生が言いました。

「何か質問はありませんか」と。

それに答えて2、3人が質問し講師がそれに答えました。

講師は言いました。
「他にありませんか?」と。

私は思わず目を見張りました。

なんと彼女が手を挙げていたのです。

相変わらず緊張しながら訥々と小さな声で、彼女は短めの質問を終えました。

 

私は感動が沸き上がるのを抑えられませんでした。

私達が人に感動する時は、100の能力を持つ人が90の結果を出すのを見た時ではありません。

10の能力を持つ人が12とか13の結果を出そうと必死になってもがいている姿に感動するのです。

彼女はその体現者だったのです。

 

非生産的なエネルギー消費

人間誰しもが緊張するものです。これはあがり症の人に限りません。

例えば、パーティや社交的な集まりなどがあった時、あがり症ではない人でも最初は多少は緊張するものでしょう。

 

でも、だんだん慣れてきて周りのことが視野に入るようになったり、人の話などを注意深く聞くようになります。

彼らの目に映る世界は、自分でビデオカメラを回して見ている世界と同じなのです。

 

なぜ、こんな当たり前のことを言うのか?

それは、あがり症の人にとっては必ずしもそうではないからなのです。

彼らの注意は周囲の世界に向くのではなく、彼ら自身に注がれ続けるのです。

あたかも他人が撮った自分の映っているビデオを、他人の目で見ているかのようなものなのです。

 

あがり症の方々は、他人が見ている自分の姿に欠点がないかどうかしつこくあら探しします。

「自分はリラックスしているように見えるだろうか。顔は固くないか?」

「声は震えていないだろうか?」

「やばい!顔が赤くなってきた」

等々。

 

この段階に来るとあがり症の方々は注意力散漫になります。

聖徳太子でもないのに、人の話の相手をしながら相手にどう見られているか自分を注視し、周りの人にもどう映っているか意識し、その上外見を取り繕い、更に心臓の鼓動や呼吸など自分の体にも注意を向けるのです。

 

もう、何が何だか分からないですよね。

まぁ、一言でいえば人の話なんて聞いちゃあいないんですね。

と言うよりは、まともに聞くことができないんです。

 

そしてその場が終わる頃には完全に疲弊し、自分自身への失望感をいっぱいにしてその場を去ることになるのです。

どれだけの無駄なエネルギーを消費していることでしょう。

あがり症の方は未来への予期不安だけでなく過去への後悔もあるため、継続的に意識と努力を注力していくのです。

全くもって非生産的行動です。

 

以前にも書きましたが、あがり症の方々は向上心が非常に強く、だからこそあがり症になったとも言えるのですが、潜在的な能力は非常に高いものを持っていると思います。

私は、その非生産的なエネルギー消費をより健全なものへと向かわせたいのです。

それができれば彼らにとっての良きことだけでなく周囲や世界にとってもより有益なものになることでしょう。