日記療法

森田療法には、臥褥療法と呼ばれる入院療法や外来療法、他に日記療法というものがあります。

臥褥療法とは、最近は慈恵医科大等、実施している機関が少なくなってきていますが、森田療法の原型とも言うべき療法です。

 

患者に何もさせずにずっと寝ているよう指示し、本来持っている生の欲望を賦活させようとするものです。

そして、目の前に置かれた作業にあるがままに集中して臨むよう促していくものです。

また、外来療法とは定期的に通院するものであり、そして日記療法はそれをカバーすべきものと言えます。

 

精神科外来は3分診療などととも揶揄されることもあるように、多数の患者をこなさなければならない状況か続いています。

そのため、きっちりと時間をとった心理療法を実施するということは精神科外来においては非常に厳しいです。

病院によっては臨床心理士などによるカウンセリングも実施しているところもありますが、全てそうだとも言えません。

 

そういったことをカバーするものとして、森田療法を実践する精神科において日記療法が利用されることがあります。

この日記療法は3つのメリットがあると言えます。

一つは精神科の時間的制約をカバーすること。
そして、もう一つは患者の気付きを促すこと。
そして、医師との治療関係をより良くするということです。

 

患者に毎日日記を書いてもらい、そこで森田療法的観点から、患者特有の認知の歪みを指摘していきます。

書面に落としたものは何度も見返すことができ、患者に新たな気付きを得やすくします。

また、表現することが苦手な対人恐怖症の患者の場合、日記を通しての自己表現が普段とはうって変わったように、イキイキとする人もいます。
そして日記療法により医師とのより濃密な治療関係を築くことも可能となります。

 

私としては、この日記療法は有効なツールの一つではないかと思っています。

メールカウンセリングや電話カウンセリングなど、最近は様々なカウンセリングのやり方が選択できるようになってきていますが、この日記療法というレトロなやり方はカウンセラーとクライエントの肉筆による温かみや感情のこもったやり取りが可能となるからです。

カウンセリングにおいては会話はもちろんですが、カウンセラーとクライエントの治療関係が結果に大きな影響を及ぼすため、希望する方がいれば定期的カウンセリングと並行して日記療法を実施していこうと思っています。

 

本当の自分

私は思えば、いつも人の目を気にして生きてきました。
ふと、最初にそれに気づいたのは小学校4年生の時です。

私の故郷は雪国でしたので、冬は走るスキーとも言えるノルディックの選手として練習に励んでいました。

そして、顧問の先生の目を過剰なまでに意識して練習している自分にふと違和感を持ったのです。

やがて中学生となり、バスケ部に入り駅伝の選手にもなったり成績も良かったので、舞い上がったのでしょうか、まるでスポットライトを浴びているかのような自分をいつも意識していました。

自分の一挙手一動足をいつも誰かに見られているような感覚でした。

そして高校に入り、思春期でもあったので女の子の視線を意識し(もっとも、これは普通かもしれませんが)、人の視線をより意識するようになりました。

 

やがて地理の授業の時に当てられて声を震わせて本を読んだことが強烈なトラウマ体験になってあがり症となり、坂道を転げ落ちるかのように負のスパイラルを辿っていきました。

そして大学に入り何年かたって、外に出てその辺を歩くだけでも人の目を意識するようになり、パチンコ屋と家の往復を毎日するような半引きこもりの生活となっていきました。

 

振り返ってみると、私はいつも人の思惑の奴隷でした。

そこには私はいませんでした。
人の目を通した自分、人がこう思っているであろう自分を演じていました。

私はずっと私自身になりたかったのです。
「あるがままに」とは私にとって最も遠い言葉でした。

そして時は過ぎ、苦悩の果てにようやく私は見つけました。

私が私になれる瞬間を。

 

それは、自分のことを考えなければ考えないほど私は私自身になれたのです。

すなわち他の誰かのために生きているその時こそ、これが自分自身だと感じることができたのです。

そして私は決めました。

 

生涯を対人援助の仕事で生きていこう、と。