生の欲望
どうしてこんなことで悩むんだろう・・・
なぜ自分だけが・・・などと、他の人たちがまるで別世界の人たちに思ったことはありませんか?
人にどう思われているか。
人前でうまく振る舞えないという不安。
飲み会でうまく会話に入れない。
対人恐怖症の人は確かにそうでない人たちに比べて過剰なまでに色々な事が気になります。
それは何故か?
それは、あがり症の方々が持つ不安や緊張の裏には「より良く生きたい」という思いが人一倍強くあるからです。
これを森田正馬は「生の欲望」と言いました。
一方、不安や緊張などのことを「死の恐怖」と呼びました。
すなわち、「死の恐怖」があるからこそ「生の欲望」を強く持つのです。
それらは一対です。
光と影です。
陰と陽です。
と、考えるならば、影をなくそう、陰をなくそう、つまり不安や恐怖という死の恐怖をなくそうという試みが、いかに天の理に背いた行動なのかわかるのではないでしょうか。
そうです。
私を含め、あがり症の方々は自分の後ろの影をなんとかなくそうと、消しゴム使ったり、白いペンキを塗ったりして不可能を可能にしようとしてきたのです。
なんと空しい時間と労力を使ってきたのでしょうか。
そもそもより良く生きたいという思いが強くなければあがり症などにはならないのです。
故にあがり症の方が本来持つ、生の欲望を発揮させていくことこそが自己実現、すなわち回復への一歩となります。
そのためのキーワードは「~にもかかわらず」です。
緊張がなくなったらやってみる、不安が収まったら挑戦するという段階的思考を取るのではなく、「不安があるのにもかかわらず手を付けてみる」、「緊張しながらでもまずはやってみる」という姿勢が大事になってきます。
この姿勢を支えるものとして、自分の価値観や自分がどうありたいかという思いが重要となります。
あなたはこのままの自分で一生を続けますか?
緊張や不安はあっても小さな一歩を踏み出してみませんか?
リフレーミングは世界を救う?
リフレーミングという言葉があります。
リフレーミングとは、ある出来事の枠組み(フレーム)を変え、別の見方で捉え直すことです。
例を示しましょう。
典型的な例として、グラスの中のコップの例があります。
コップの中に水が半分入ってます。
これをどう捉えるか?
ある人は、もう残り半分しかないと考えるでしょう。
でも、これを別の見方(フレーム)で捉え直すと、まだ残り半分もある、となります。
他にもどんどん挙げていきましょう。
・ケチ→金銭管理がしっかりしている
・怒りっぽい→情熱的
・神経質→きめ細やか
・無口→聞き上手
・ゴルフ下手→接待上手
・毒→薬にもなる
・子供のことで両親がよくケンカする→それだけ子供のことを思っている両親
・性格の違う夫婦でうまくいっていない→互いに欠けている所を補いあっている夫婦
・いろんなことが不安になってしまい取り越し苦労が多い→危機察知能力が強いので防災に関連する部署が向いている
・自分のダメな所ばかり気になる→それだけ理想が高いという証
・どこにでもタダで落ちている葉っぱ→綺麗に飾れば食事を彩る商品に(ビジネス成功モデルあり)
・・・etc
私が言いたいのはフレーム(枠組み)を変えることで様々な発想の転換、時によっては発明もあり、気づきや、気持ちを和らげることにもつながるということです。
とりわけ精神的に余裕のない人は、物事をたった一つの見方(フレーム)からしか見ない傾向があります。
しかも自分を苦しめる方向の見方(フレーム)が多い。
故に、心理療法やカウンセリングで大事なことの一つが、リフレーミングではないかと思っています。
ガチガチになったものの見方(フレーム)をあの手この手で緩めていく。
自分を苦しめるものの見方(フレーム)の束縛から解放していく。
実際、こちらが提示したリフレーミングが相手のストライクゾーンに入ると、その人の表情は明らかに変化します。
では、あがり症の方にはどんなリフレーミングがあるでしょうか?
例えば、こんな話し方、
「それほどまでに、失敗するのではないかと不安になったり、緊張してしまう自分を受け入れられないというのは、裏を返せばより良く生きたいという思いが人一倍強いという証拠ではないでしょうか?」
「これまで、あがらないようにと努力してきた安全確保行動、そして緊張してはならないという強い思い、実はそれこそが皮肉にもあがり症を悪化させる要因になってきたのです。
ですから、緊張するならするがままに、声が震えるなら震えるがままに、あるがままに行動していくことが逆に回復への道へとなっていくのです。」
私は、リフレーミングこそが目の前の苦しんでいる人を助ける重要なツールの一つではないかと思っています。
あぁ、リフレーミングの達人になりたいなぁ。(修行の道は続く・・・)