TOKIOの山口さんの事件が、マスコミでいろいろ騒がれているようですね。

私は家にTVがないので、普段はTVを見ることがないのですが、今、秋田の実家に帰ってきていてニュースを見ているとこのニュースで持ちきりのようです。

私的には、この問題はしばしば目にする「やっちまった事件」のように感じました。

特にアルコール問題を抱えている人にはしばしばあるでしょう。

それがたまたま芸能人、しかもジャニーズだったというだけです。

では、ここでどうあるべきか。

答えはいたってシンプルだと思うのです。

事が事なのだから筋を通すだけです。芸能界に残れるかどうは分かりませんが、四の五の言わずにジャニーズ事務所を辞職でしょう。

なのになにかここで本人があれやこれやと何かもにょもにょしている模様。

要は潔くない。

アルコール依存症であるといった情報が流れていて、しかも本人の口からも出たとか。

これは、うがった見方をすれば、俺が悪いんじゃない、アルコール依存が俺をそうさせたんだという風にも取られなくもないです。

これは、アドラー心理学の目的論から考えれば、アルコール依存症を使って自分を守ろうとしたという分かりやすい例なのかもしれません。

しかし、世の中こんな分かりやすい例だけではありません。
人は無意識でも、身体症状や病気を使います。
目的のためなら人は何でもするんですね。

アドラーの弟子、W・B・ウルフは神経症者の精神構造について言及しています。
そういった人々、すなわち勇気をなくした神経症者には次のような戒めを自己に持っていると。

「自分の欠点の身代わりが見つかっている限り、どんな失敗の責任も負ってはならない」

これが、私が悪いんじゃない、アルコール依存が悪いんだという文脈です。

「アルコール依存」という部分を他の何かに変えてもいいのかもしれません。目的のためには。

しかし、よくよく考えてみてほしいのです。
私たちも知らずして、あるいは分かっていながら使っていませんか?
この文脈を。

○○だからできない。
○○がある限りはやめておこう。
○○さえなければ。

ね?

視聴者の多くの方は、見たくない自分の姿を彼の中に見たのかもしれません。

何か微妙な優越感と共に。

あたかも自分の業を彼に代理で背負わせて、彼に償ってもらうおうとするかのように。