二次障害としてのうつ病
社交不安障害は10代で発症することが多いのですが、すぐ医療機関に繋がるわけではなく、発症から受診するまでに長くかかってしまうことが多いです。
それにより症状が悪化し慢性化してしまう傾向があります。
その背景には社交不安障害の症状を性格の問題と捉えて、なんとか自分なりに努力して取り組むということがあるかもしれません。
あるパターンでは、例えばうつ病を発症し精神科に行くのですが、実は本当は社交不安障害による生きづらさがうつ病発症の原因となっていることがあります。
そういった場合、例えば入院・服薬によりうつ病が治って、さぁ退院となって社会復帰を目指すわけですが、原因となった社交不安障害が治っていない限りは再発の可能性が高くなります。
そして、再発することで自信をなくし、うつ病を更に悪化させてしまう可能性もあります。
ですから、うつ病は二次障害で発症するケースが多いことを頭に入れておく必要があります。
社交不安障害に限らず、他の障害でもあります。
発達障害、ADHD、統合失調症、摂食障害、強迫性障害、等々。
うつ病になってしまった背景をきちんと見ておかないと、再発の可能性が高くなることを認識しておく必要があるのです。
うつですね、はい服薬と休息が必要です、と言って終わりなのではなく、うつになった背景を詳しく精査しておくことは、再発を防ぐ上で重要な要素となるのです。
感情には感情を
おととい、西東京市で行われたひきこもりのセミナーに参加しました。
ひきこもりの方々に専門的に携わっている精神科医、保健師、精神保健福祉士の方々がご講演されました。
精神科医の方は実際の臨床経験を元にした、リアルなお話をされました。
保健師の方は研究機関等にも所属し、制度や支援のあり方等のお話をされました。
そして、精神保健福祉士の方は、フリースペース等での支援の実際について語って頂きました。
それぞれがそれぞれの立場でお話され実りのあるご講演でした。
そして最後にミニシンポジウムとして、講演した3人の方々が会場の質問に答えるという場が設けられました。
観客の方から質問があがっていきます。
講演者は指名されてそれに答えます。
そして二人目か三人目かの時でした。
50代を超えるかと思われる男性の方が立って質問しました。
訥々と語ります。
今日のこの会がある事を知って急遽、車を飛ばしてやってきたと。
どうやら話を聞いていくと当事者の親御さんのようでした。
10数年ひきこもっていると。
「無理とあきらめている」「このままでは死んでも死にきれない」といった濃い言葉が発せられます。
そうして指名されて答えたのが、保健師の方でした。
戸惑い気味に、これまでのことに対するねぎらいの言葉をぎこちなく答えます。
講演の時とは雰囲気が違います。
何となく逃げ腰のような感じです。
制度のことなど当たり障りなく答えていきます。
響きません。
私は聞いていて、あぁ、これはダメだと思いました。
制度のことにも明るく、ひきこもりの研究や事例検討会にも出られているようでしたが、目の前にいる悩める方に対しての言葉を持たないのです。
悩める人に対峙する覚悟を持たないのです。
「無理とあきらめている」「このままでは死んでも死にきれない」と親御さんは言いました。
この二つの言葉がどれだけ重い言葉か。
「無理」と諦める一方、「死にきれない」と可能性への思いを捨て切れず、激しく揺れ動いているのです。
しかも「無理」という言葉を発すること自体が、私から見ると危険です。
なぜなら言葉は発すると実現する性質を持ちます。
「無理」という言葉を発すると本当にその通りになりやすいのです。
支援者ならば、この言葉に正面から対峙する必要があります。
例えばまずは、それほどの思いを持っているのですねと共感する。
そして無理という言葉を否定する。
無理との言葉でしたが私はそうは思わない、どんなに厳しくても無理と思って支援はしていない、どんな人にも可能性があると思っている、等々。
しかし、この保健師の方は、親御さんの感情に対して感情を返すのではなく、感情に対して理論を返しました。
同じステージに立っていません。
逃げています。
これでは相手の心に入りません。
やり取りを見ていて苦しくなりました。
私だったらこう言ってあげたい、ああ言ってあげたい、悩めるお父さんに心で応じたい。
切なる思いを持って質問した親御さんが取り残されている様子を見てもどかしいのです。
この保健師の方は研究者であっても実践者ではなかった。
私にはそう思えてなりませんでした。