当事者研究をしよう!

北海道の浦河にべてるの家という精神障害等を抱えた当事者の地域活動拠点があります。日高昆布の販売等に関わる事業などをやっています。

ただ、事業内容よりもそこでの当事者たちの取り組みが個性的で、業界では結構有名です。私は行ったことはありませんがそこでの取り組みは非常に興味深いです。

今回、このブログを書くにあたり、そこのHPを見ていたら理念も載っていましたが、その理念一つとってもあり得ない、というか面白い。

以下になります。

・3度の飯よりミーティング
・安心してサボれる職場作り
・自分でつけよう自分の病気
・手を動かすより口を動かせ
・偏見差別大歓迎
・幻聴さんから幻聴さんへ
・場の力を信じる
・弱さを絆に
・べてるに染まれば商売繁盛
・弱さの情報公開
・公私混同大歓迎
・べてるに来れば病気が出る
・利益のない所を大切に
・勝手に治すな自分の病気
・そのまんまがいいみたい
・昇る人生から降りる人生へ
・苦労を取り戻す
・それで順調、などなど

もう何これ?むっちゃあり得ない!
もう私当時者だったら青函トンネルくぐって浦河に移住したいぐらいですね。

で、ここの何がすごいかって当事者研究。
「こころの元気」という雑誌がありますが、そこに毎月べてるの家での当事者研究の取り組みが掲載されています。

そこに在籍している当事者達が、病気に伴なう個々の苦労を仲間たちとのミーティングなどを通して研究し、自己診断するのです。
そこに医師から付けられる診断はありません。

統合失調症、うつびょう、不安障害等々の医師の診断基準はあっても、当事者の苦労はそれこそ千差万別です。
例をご紹介しましょう。

「統合失調症ドラマチックタイプ」(こころの元気2014年6月号)
「勝手に燃え尽き症候群突然ひきこもるタイプ」(同2014年7月号)

こうして各自の苦労やそのパターンを徹底研究し、自分の不調時のパターンを知ることにより、備えることができるようにもなるでしょう。

それよりも何よりも、自分の症状を客観的に見てあーだこーだとやること自体が癒しなんですね。
これをナラティブセラピーという心理療法では外在化と言います。

人は、渦中にある時、症状=自分そのものになります。
うつになった時は、うつ=自分です。

うつ状態で出てくるもの全てが自分自身となるのです。

悲観的に考えるなら、それは私の性格。
疲れて休みたくなるなら、怠け者の自分。
本当は仕事ができる人がうつ状態でうまくいかないのに、仕事ができない自分。

本当はそうではないんですよね。
たまたま、うつという厄介者が自分自身に襲ってきてそうなっているだけなのです。

悪いのはうつなのです。
自分はそれの被害者なのです。

この当事者研究は、そうすることで自分と症状を切り離して考えられるようになるのです。
そうするといろんなものが見えてきます。

自分をあたかも幽体離脱したかのように高みから見ることを、俯瞰するという言葉に当てはめるとすれば、これは正に俯瞰して自分を見ているのです。

そうして、客観的に見ることで冷静な判断や対応策を考えられるようになるのです。
この試みはプロのカウンセラー以上です。

というわけで、じゃあ、皆さん。
当事者研究してみましょうか?

あがり症の方は、さしずめ次のような感じでしょうかね?
「勝手に先走り不安機関車限界超えエンスト症候群?」

適確な命名できたら、私、楽しく相談に乗れますよ。

 

摂食障害

森田療法の勉強会に参加していました。
森田療法とは、対人恐怖症やパニック障害などの神経症に対して有効な日本発の療法です。

毎回講師の方が変わるのですが、今回も森田療法を治療を実践されている医師の方でした。
今回のテーマは摂食障害です。
摂食障害はあまり詳しくないのですが、私の感じたことや考えを含めてご紹介させていただきます。

まず、摂食障害ですが、これは何か精神的ストレスがあった時にそれを引き受けることができないため、いわばそれを誤魔化すためのはからいごととして過食・拒食に走ります。

苦痛や感情を感じることが難しいんですね。
この辺は、対人恐怖症と同じ心理機制です。

対人恐怖症の方は緊張することがあってはならないと考えます。
摂食障害者もまた、良い子でなければならない、高い評価をえなければならないといったかくあるべしという強い意識をグラグラ揺らすような感情を引き受けることができないのです。

そのため衝動的に過食・拒食に走ります。
それは、自傷行為の一つとも言えるでしょう。

つまりそれによって何かが得られているのです。
ホッとする。安心感でしょうか。同時に罪悪感も感じるでしょう。

そしてそれは結果を如実に伴ないます。
体調面の悪化で生活がままならなくなってきます。
そのため益々自責的になります。
そしてさらに過食・拒食に走っていく。
悪循環です。

摂食障害の方は自己内省を強く持っています。
こんなんじゃいけない、こうあらねばならない。
しかしかくありたくても、かくなれない現実を回避するための自己コントロール行為が過食・拒食なのです。

そして、その強い自己内省が存在する裏には、それを駆り立てるものがあります。
それが正の欲望です。

人生でこうありたい、より良くありたいという健全な思いが強いからこその不安なり自己内省なのです。
であれば、方針は二つです。

一つは、正の欲望に沿って行動すること。
不安や劣等感を持ちながらも、はからい行動をするのではなく今なすべきこと行動をする。

そしてもう一つ。
感情を受容すること。
ありのままに感情を見つめることです。

劣等感は劣等感のままに感じること。
がっかりしたならがっかりしまくること。
いらいらしたならそれは当然であり、いらいらしているなと受け止めること。
心配したなら安心しないととなるのではなく、心配しまくること。

感情を否定するからこその過食・拒食なのです。

自分の感情を見つける。
自分の感情を書き出す。
自分の感情を口に出してみる。
感情を表現するのです。

自らの感情と過食・拒食の関連性を自覚し、揺れる感情はあるがままに本来持つ正の欲望に沿って行動していく必要があるのです。

それはコントロール依存から目標本位の生き方への変換となるのです。