親友の今

社交不安症障害(あがり症、対人恐怖症)は、大きく分けて全般型と限局型という二つのタイプがあります。

全般型というのは文字通り、あらゆる対人場面で緊張するというものです。
一方、限局型というのはある限られた場面だけ緊張するというものです。

例えばスピーチする時だけ。
あるいは人と会食する時だけ、とか。

それで、回復の度合いも違うように感じます。
全般型だとやはり時間がかかるのに対して、限局型だとまるでスイッチが入ったかのように、バチーンと回復してしまうことがあります。

あれ?これまで何だったの?みたいな。
あれほどイヤだった人前で話すことがなんでもなくなって、ぺランぺランと喋るようになる。
そういった人も何人か見てきました。

ちなみに私はバリバリの全般型でしたけど。

それで、全般型社交不安障害と似てますが、社交場面全般を避けるようになってくると、回避性人格障害という診断となります。
これは、他人に嫌われているという思い込みを持ったりして人から否定されることを極端に恐れるため、あらゆる対人場面を回避するようになるというものです。

ひきこもりの方には一定程度の割合で回避性人格障害の方がいると思われます。

私には小中高と一緒だった親友がいて、ツーカーの仲だったのですが、大学時代から準引きこもり状態で今に至っています。

明るくて人気もあって意味不明なまでに自信満々だった奴でしたが、何故か社会に出ない生活をずっと続けていました。

広島にいるので全く会っていませんが、何年かに一回程度で電話すると「いずれガツンと行くから」とか「まだだ、まだ。もう少しだ」などと、そんな状況でも相変わらず自信満々に言います。

こちらとしては一体何なんだろう?とずっと思っていました。
今にして思えばですが、回避性人格障害の要素があったのかな?と。

社交不安障害の要素は低いと思われるのですが、やたらと誇り高い男だっただけに、社会に出て傷つくのを極端に恐れていたのか。
100のうち1つでも欠けてしまう自分をさらすことが許容できなかったのか。

正直分かりません。

ただ、親友だった奴がそういった状態でいることは寂しい限りです。
ほとんど社会に出て働いた経験が少ないので、私ぐらいの年だと取り返しのつかないぐらいの大きなハンディキャップです。

最近ようやくコンビニで働き始めたと言っていました。

こいつには恩があります。
向こうは何のことか知らないでしょうが。

今からでも、生き直しをしてくれればと思います。

 

「気持ちがいい」を大切に

私は持病で鼻づまりや腰痛を持っています。

腰痛についてはいろいろな整体や整形外科等に行きましたが全く治る気配がありません。
特に立ちっぱなしでいるとつらくて日常生活に支障をきたしています。

鼻づまりに関しても、色々な病院を渡り歩き、レーザー手術等もしたものの全く治りませんでした。
鼻詰まりがひどい時は、日中の眠気も強烈になり朦朧として仕事をしている時もあります。

最近、漢方医に通うようになり、漢方薬を処方して頂くことで、腰痛も鼻詰まりも若干軽減したように思えます。

それでですが、私はあがり症(社交不安障害、対人恐怖症)を克服しつつある人間です。
現在、8割9割ぐらいの回復程度かと思います。

完全に回復したわけではないので緊張することはしょっちゅうあります。
そもそも、あがり症の回復像は、あがらなくなるのではなく、あがることを受け止めてたいして気にしなくなることにあります。

なので、あの、いや~な感覚を体験することも当然あります。
そしてその感覚に対するあり方が最も変わったのかもしれません。
なのでズルズルと引っ張られたり、やたらと後悔したり怯えたりといったことが少なくなりました。

戻りますが、それで症状を感じることはしばしばなのですが、人と話していていつもより強く対人恐怖的感覚に襲われることがあるのです。
これをよくよく振り返ってみると、こういった時は鼻詰まりがひどい時に多いように感じます。
鼻詰まりがひどい時は心に余裕がないような感覚です。

それで思い出しましたが、ある方も体調が悪い時症状が強くなるようなことを言っていたのです。
ひょっとして、あがり症(社交不安障害、対人恐怖症)の症状は、体調の良し悪しに影響を受けるのではないかと。

もうご高齢ですが、精神科医で神田橋條冶先生というこの業界では超有名な方がいます。
この神田橋先生のご著書の中で、「気持ちがいい」ということを感じをつかんで、それで全てを判定することの重要性を強く仰られています。

私はこれまで、自分にとって楽しいこと、好きなこと、面白いこと、こういったものに無頓着でした。
あまり追求してこなかったのです。

体調面もそうです。
あまりにも自分に冷たすぎたのかもしれません。

やや修行僧的な感覚もあったせいかと思います。
「気持ちがいい」ことをおろそかにしすぎたのではないかと改めて感じました。
そのセンサーが働いていない人があまりにも多いと、神田橋先生も仰っています。

きっと私もその一人だったのでしょう。
これからは「気持ちがいい」ということに対してのセンサーをもっと強めていこうと思いました。
あぁ、今、心地いいな、とか、楽しいな、とか、じゃあもっとやろう、とか。

そして、カウンセリングにおいてもこの視点を取り入れていきたいと思いました。

皆さん、「気持ちがいい」ことへの感性、忘れてはいませんか?