小心なのに冷静?

私には腹の据わる瞬間があります。

普段私は、障害者の方の面接に同行して一緒に緊張してしまったり、些細なことでドギマギしたり、不条理なクレームの電話に怒りで心がグラグラ揺れたりといったように、まるで小心者です。
もっとも周りからは落ち着いているように見えるようですが。

まぁ、それはさておき、どうやら私は他の人がさして動揺もしないようなことでドキドキ緊張し、他の人が面食らったり怯えるような場面では逆に腹が据わる傾向があるようなのです。

先日もありましたが、面談時に相談相手の方から「佐藤さん、私この前自殺図ったんですよ」などと話し始められると、「ほう」と言って表情も変えずに次の言葉を促します。
心の水面も静まりかえっています。

ひょっとしたら、「人を殺しました」などと言われても、「ほう」と答えるかもしれません。分かりませんが。

他にも、人の面接同行で緊張することもあると書きましたが、一方、今の職場に入る時の面接で5人の幹部を目の前にしてかなり突っ込んだ質問をされるほど、逆に落ち着き払って答えた記憶があります。

また、以前カウンセラー養成講座でクライエント役を何十人の前でした時、しかも内容があまり人に知られたくないことを話したのですが、普段の自分からはあり得ないほど冷静でした。

どうしてかなぁ、と思いましたが、今ふと気がつきました。
以前、私は博打の世界に身を置いていたのですが、その中でも異色のキャラクターでした。

超攻撃派だったのです。
攻めダルマと呼ばれ恐れられましたが(負けてる時は火だるまとしてカモにされました)、どうも自分をさらけ出してエイヤっと飛び込む時、あるいはリスクがある中でチャレンジする時ほど、それがどうしたみたいな反骨の気持ちになるのです。

どうやらあがり症で小心者の私の中に、過剰なまでの強気な気持ちの自分もいるようなのです。
人間は複雑な心性を持つようです。

 

今この瞬間を感じる

今日、私の同僚が言いました。
「食事マインドフルネスの講座受けてきたよ」

「???」
なんだそりゃ~でした。

マインドフルネスとは一言で説明するのが非常に難しいのですが、禅や瞑想と似ていて、今この瞬間を感じることを意味します。現在、第3世代の認知行動療法として徐々に世に広まりつつあります。

それでもうちょっと具体的に言うなら次のようなものになるでしょうか。

例えば呼吸するなら、ただ呼吸している自分を見つめる。
痛いと思ったらその痛さをありのままに感じる。
動揺しているのなら動揺している今この瞬間の自分の感情を見つめる。

今ここ、今この瞬間を感じることなのです。

それで冒頭に戻りますが、食事マインドフルネス?です。
なんだそりゃ~で、これじゃ何でもありかいと一瞬思いましたが、よくよく考えてみると段々納得してきました。

私なんかもそうですが、食事している時にロクに味わうことをせず、まるで作業のように胃に詰め込んでいるような時が多いです。新聞や本を読みながらの「ながら飯」が多く、全く味わっていません。

きっと食事マインドフルネスとは、色彩、食感、噛み具合、匂い、暖かみ、喉ごし、といったように五感をフルに発揮し、その瞬間瞬間を感じることなのでしょう。

これは何も食事や呼吸に限りません。
世の中で起こること全てに対して、マインドフルネスの姿勢で臨むことができるのかもしれません。

私はその対極の人生を送ってきました。
今この瞬間を徹底的に否定したり、知らない振りをしたり、あるいはよそ見運転してきたのです。

なぜなら、それがあがり症だからです。

緊張し、不安になる自分を受け入れられず、あってはならないと徹底的に否定する。
緊張する自分をおくびにも出さず、意識から外そうとする。
今ここでなすべき目的から離れ、あがらないように話すなどといったように手段ばかりに気を取られる。

これじゃあ、アンチマインドフルネスの人生です。

あがり症の方々よ。
マインドフルネスに還るのです。

あがることはあがるままに、緊張しているなら緊張するしかありません。
否定したり抑え込もうとすると逆効果です。
却って暴れます。

ありのままにその瞬間をその感情を感じることが、遠いようでいて実は一番近道なのです。
あがることはあがるがままに今そこでなすべき事に集中する。

過去でもなく未来でもなく今ここを体験するのです。
今 、今 、今 、
ただ、今を感じ、今を体感するのです。